閣羅鳳 かくらほう
712-779
南詔の第五代王(在位748-779)。皮羅閣の長子。『新唐書』では「閤羅鳳」と表記するが、敦煌本吐蕃年代記の『大事紀年』には「kag la bong」とあるから、閣羅鳳が正しい。唐の人質となっていたが、脱走。父の没後即位すると唐に帰順していたが、雲南太守の張虔陀の横暴に怒って張虔陀を殺して唐と断絶。吐蕃に臣従して「賛普鍾(ツェンポの弟)」と称し、金印を賜い、「東帝」と号し、唐を攻撃した。
鮮于仲通・
李宓の軍を潰滅させ、安史の乱に乗じて雟州・姚州・戎州を占領し、南詔強勢の礎をつくった。没すると孫の異牟尋が継承し、神武王と諡された。
年号
賛普鍾 752-768
長寿 769-779
子女
鳳迦異
宰相
鄭回
列伝・史料
『新唐書』
巻二百二十二上 列伝第一百四十七上 南蛮上 南詔上
『旧唐書』巻一百九十七 列伝第一百四十七 南蛮 西蛮 南詔蛮
「南詔徳化碑」
『大事紀年』ペリオ1288(『敦煌本吐蕃歴史文書』)
外部リンク
最終更新:2024年12月17日 23:13