鮮于仲通 せんうちゅうつう
693-755
盛唐の官人。閬州新政県の人。名は向。字は仲通で、字を以て通行した。鮮于令徴の子。
李叔明の兄。若い頃は狩猟を楽しむのみであったが、二十歳を過ぎてから書を読むようになり、四十歳近い開元二十年(732)に郷貢の進士に及第し、新都県の尉に任じられた。
楊国忠と結び、天宝九載(750)剣南節度副大使知節度事、剣南山南西道採訪処置使となったが、翌年、南詔に侵攻して白厓城に迫ったが、次男の鮮于昊をはじめ六万の大損害を被る大敗を喫した。敗戦は楊国忠によって隠蔽され、京兆尹に任じられたが、邵陽郡司馬に左遷された。
列伝・史料
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最終更新:2024年04月25日 23:18