恒王李瑱 りてん
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盛唐の宗室。
玄宗の第二十七皇子。母は鄭才人。初名は李潓。開元二十三年(735)恒王に封ぜられた。道教を好んで常に道士の服を着ていた。右衛大将、開府儀同三司となる。開元二十四年(736)李瑱と改名した。天宝十五載(756)安史の乱がおこって、父とともに成都に逃れると、二度と道士の服を着ることはなかった。
列伝
『新唐書』
巻八十二 列伝第七 十一宗諸子 玄宗諸子 恒王瑱
『旧唐書』巻一百七 列伝第五十七 玄宗諸子 恒王瑱
外部リンク
最終更新:2024年12月29日 16:04