興道坊
長安の坊名。西は朱雀門街を挟んで光禄坊(ないしは善和坊)、東に
務本坊、南に
開化坊、北に皇城があり、北西に朱雀門、北東に安上門が位置した。景龍三年(709)
武攸曁が父
武懐道の諱に触れるとして瑤林坊に改めたが、景雲元年(710)にもとに戻された。西南の隅に至徳女冠観があり、
太平公主の邸宅があったが、先天の変の後、この邸宅は
李令問に与えられた。開元八年(720)六月、華北全域を襲った大水害の際に、興道坊が一夜で陥没して池となり、五百軒が水没した。
参考文献
徐松 撰、愛宕元 訳注『唐両京城坊攷 長安と洛陽(東洋文庫577)』(平凡社、1994年)
最終更新:2025年02月21日 23:12