瞿曇譔

瞿曇譔 くどんせん

712-776
盛唐の官人・天文学者。瞿曇悉達の子。瞿曇羅の孫。改暦の任に預かれなかったことを恨みに思い、開元二十一年(733)、陳玄景とともに『九執暦』採用を主導した南宮説に対して、『九執暦』の精度について攻撃した。玄宗の命により天体観測記録と比較したところ、『大衍暦』は十のうち七・八、『麟徳暦』は十のうち三・四が的中であったが、『九執暦』は十のうちわずか一・二にすぎなかったから、南宮説らは罪とされた。司天秋官正となり、上元二年(761)日蝕がおこると奏上した。宝応元年(762)司天丞の官員の減員を奏請した。著作に『大唐甲子元辰暦』一巻がある。

志・史料

『新唐書』巻二十七上 志第十七上 暦三上
『新唐書』巻五十九 志第四十九 芸文三 丙部子録 暦算類
『旧唐書』巻三十六 志第十六 天文下 災異編年 至徳後 上元二年七月癸未朔条、乾元元年三月条

外部リンク

辭海大百科全書 瞿曇譔(中文)
https://www.cihaix.com/wiki/813196-d3c378

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最終更新:2025年04月06日 01:40
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