南宮説

南宮説 なんぐうえつ

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盛唐の官人・天文学者・暦学者。神龍元年(705)中宗が復位すると、太史丞となっており、『麟徳暦』の改訂を主張し、『乙巳元暦』をつくった。一行とともに大衍暦施行のため、南は交州から北は長城の北の鉄勒に至る子午線測量を実施し、緯度・日晷・日食の食分・恒星の位置の観測を行い、新暦の編成のために全土に及ぶ大規模な天文測量を実行し、1度が351里80歩(唐尺。123.7km)にあたるという結果を得た。太子右司御率となったが、開元二十一年(733)、瞿曇譔陳玄景らに『大衍暦』を抄出した『九執暦』の精度について攻撃され、玄宗の命により天体観測記録と比較したところ、『大衍暦』は十のうち七・八、『麟徳暦』は十のうち三・四が的中であったが、『九執暦』は十のうちわずか一・二にすぎなかったから、南宮説らは罪とされた。著作に『光宅暦草』十巻がある。

『新唐書』巻二十六 志第十六 暦二 麟徳暦 辰星
『新唐書』巻二十七上 志第十七上 暦三上
『新唐書』巻三十一 志第二十一 天文一
『新唐書』巻五十九 志第四十九 芸文三 丙部子録 暦算類

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最終更新:2025年04月06日 01:24
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