田游巌 でんゆうがん
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初唐の官人。京兆三原県(陝西省富平県)の人。永徽年間(650-655)太学生となったが辞めて帰り、太白山に入った。各地の山水で遊歴し、蜀、荊・楚を経て、夷陵青渓を愛し、留まってその側に庵を営んだ。箕山に入って許由の祠の傍らに住んだ。調露二年(680)
高宗がその居所を訪問してきた時の逸話が「泉石煙霞の病」の語源となった。崇文館学士、太子洗馬に任じられたが、
裴炎に連座して山に返された。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。
列伝
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最終更新:2025年05月24日 03:12