田游巌

田游巌 でんゆうがん

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初唐の官人。京兆三原県(陝西省富平県)の人。永徽年間(650-655)太学生となったが辞めて帰り、太白山に入った。各地の山水で遊歴し、蜀、荊・楚を経て、夷陵青渓を愛し、留まってその側に庵を営んだ。箕山に入って許由の祠の傍らに住んだ。調露二年(680)高宗がその居所を訪問してきた時の逸話が「泉石煙霞の病」の語源となった。崇文館学士、太子洗馬に任じられたが、裴炎に連座して山に返された。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。

列伝

『新唐書』巻一百九十六 列伝第一百二十一 隠逸 田游巌
『旧唐書』巻一百九十二 列伝第一百四十二 隠逸 田遊巌

外部リンク

維基百科,自由的百科全書 田遊巖(中文)
https://zh.wikipedia.org/zh-tw/%E7%94%B0%E9%81%8A%E5%B7%96

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最終更新:2025年05月24日 03:12
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