何稠

何稠 かちゅう

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隋・初唐の官人・工人。玉器大師である何通の子。叔父は何妥。隋に仕えて様々な工芸品を手掛け、車や車の飾りおよび百官の儀服などを造った。瑠璃(ガラス)の製法の復活を目論んで、緑釉の焼き物でガラスに近いものをつくったという。また高麗征伐に際して遼水の大橋の架橋を行い、散官、金紫光禄大夫となった。宇文化及が乱をおこし、煬帝が殺害されると、宇文化及のもとで工部尚書となった。その後竇建徳に仕えて工部尚書、舒国公となり、武徳四年(621)竇建徳が唐に敗北して滅亡すると、唐に帰順。将作少匠に任じられたが、後に罪を得て家族は没籍されたというから、誅殺されたらしい。『隋書』『北史』に伝がある。

列伝

『隋書』巻六十八 列伝第三十三 何稠
『北史』巻九十 列伝第七十八 芸術下 何稠

外部リンク

維基百科,自由的百科全書 何稠(中文)
https://zh.wikipedia.org/zh-tw/%E4%BD%95%E7%A8%A0

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最終更新:2025年07月12日 02:38
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