宇文化及

宇文化及 うぶんかきゅう

?-619
隋の反臣。隋朝五貴の一人。北周系の門閥官僚の宇文述の長男。弟に宇文士及宇文智及、妹に宇文昭儀がいる。煬帝が皇太子のとき、いつも出入りして寵遇された。しかし、軽薄才子という評判があり、収賄事件によって再三免官されたが、弟宇文士及が煬帝の娘南陽公主を妻としたことからたいへん高慢になり、人の娘や犬馬珍玩を見れば必ず欲しがり、常に屠販者と交際して利をはかったと伝えられ、煬帝が即位すると太僕少卿を授けられ、つづいて右屯衛将軍となった。隋末の混乱のさい、煬帝は江都(江蘇省江都県)の離宮に行ったまま北帰の意志がなく、化及はこれにしたがっていたが、618年、北帰を望む軍人や、弟宇文智及らにすすめられて煬帝を殺し、秦王楊浩(煬帝の弟俊の子)を擁立して魏県(河北省大名県)に拠り、つづいて浩を殺して帝位につき、国を許と号して年号を天寿と定めたが、翌年竇建徳に破れて捕えられ、二子の楊承基・楊承趾とともに斬られた。『隋書』『北史』に伝がある。

列伝

『隋書』巻八十五 列伝第五十 宇文化及
『北史』巻七十九 列伝第六十七 宇文述 子化及

参考文献

『アジア歴史事典』3(平凡社,1960)

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最終更新:2024年10月23日 10:44
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