張善相 ちょうぜんそう
?-619
隋末の群雄、初唐の武将。許州襄城(河南省汝州市)の人。大業年間(605-618)末に里長となり、県兵を率いて小盗賊を討伐していくうちに頭角をあらわして自立し、許州によって
李密に帰順した。李密が敗れると、武徳二年(619年)正月、許州もろとも唐に帰順した。伊州総管に任じられた。後に李密が唐から逃亡すると張善相を頼ろうとしたが、その途上で李密は
盛彦師に殺害されている。同年四月、
王世充が侵攻してくると、再三救援を要請したが、救援軍は送られず、城が陥落すると捕らえられて殺された。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。
列伝
外部リンク
最終更新:2025年07月13日 01:35