劉迺 りゅうだい
725-784
中唐の官人。字は永夷。河南伊闕県(河北省鶏沢県)の人。天宝年間(742-756)進士に及第し、剡県の尉、江西留後、司門員外郎、給事中を歴任。建中四年(783)兵部侍郎に任じられた。
朱泚の乱のため、
徳宗が奉天に逃れると、私邸にて病で臥せっており、朱泚の宰相
蒋鎮が、病のため口を聞けないから朱泚に仕えられないと称した劉迺に、強制のため無傷の皮膚がなくなるほど灸をすえた故事が、「完膚なきまで」の語源である。子に
劉伯芻がいる。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。
列伝
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最終更新:2025年08月24日 02:03