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崇文館

崇文館

長安、宮城内の東宮の施設。麗正殿の西に位置した施設である崇文殿の近くに位置した。東宮における弘文館のような位置づけであり、トップに学士二人が置かれ、経籍図書を司り、諸生を教え、推挙された者を課試することは弘文館と同様であった。校書郎二人は従九品下で、書籍の校訂を司った。貞観十三年(639)に崇賢館が設置され、顕慶元年(656)学生二十人が置かれた。上元二年(675)皇太子李賢の名を避けて崇文館に改められた。学士、直学士、讎校は、いずれも定員がなく、該当の人物がいなければ太子庶子が領館事となった。開元七年(719)、讎校を校書郎と改めた。乾元年間(758-760)初頭、宰相を学士、総館事とした。貞元八年(792)左春坊に隷属させた。属官に館生十五人、書直一人、令史二人、書令史二人、典書二人、搨書手二人、楷書手十人、熟紙匠一人、装潢匠二人、筆匠一人がいる。

『新唐書』巻四十九上 志第三十九上 百官四上 東宮官 左春坊 崇文館

参考文献

徐松 撰、愛宕元 訳注『唐両京城坊攷 長安と洛陽(東洋文庫577)』(平凡社、1994年)

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最終更新:2025年11月18日 09:37
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