啖助 たんじょ
723-770
中唐の儒者。字は叔佐。趙州(河北省)の人で、のちに関中に遷った。天宝年間(742-756)末、臨海県の尉・丹楊県の主簿に任じられた。任期満了すると引退し、著述を行った。『春秋』に通暁し、三伝の批評、とくに左伝について大きく批判を行い、後世偏った見方であると非難されたが、一方で『春秋』経文の本義を追求したため、宋学への道を開いた。著作に『春秋集伝集注』『春秋統例』があったが、いずれも失われた。子に啖異がいる。啖助の説は門弟の
陸質によってまとめられ、
趙匡の説とともに通釈されて『春秋集伝纂例』となった。『新唐書』に伝がある。
列伝
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最終更新:2025年12月09日 09:50