太常寺
長安、皇城内の礼楽・郊廟・社稷を掌る官署。第七横街の北、皇城内南の
朱雀門の北東、
安上門の北西に位置し、東に安上門街を挟んで
太廟が、西に
承天門街を挟んで鴻臚寺が位置する。龍朔二年(662)奉常寺に改められ、九寺の卿はすべて正卿となり、少卿は大夫となった。光宅元年(684)にも改められて司礼寺と呼ばれた。郊社署・太楽署・鼓吹署・太医署・太卜署・廩犧署・汾祠署、天府院・御衣院・楽縣院・神厨院を直轄とした。
崔日知が太常卿になると、都寺庁事の後方に楼を建て、尚書省を望んだから、当時の人々は「崔公望省楼」と呼んだ。官員は長官たる卿が一人で正三品相当、次官たる少卿が二人で正四品上相当で、從五品下相当の丞二が人、従七品上相当の主簿が二人、博士が四人、正九品上相当の太祝が六人、従九品上相当の奉礼郎が二人、録事が二人、正八品上相当の協律郎が二人いる。
志
最終更新:2025年12月14日 17:20