黄景復
?-875
唐代の官人。黎州刺史。充大渡河把截制置土軍都知兵馬使。咸通十四年(873)の南詔の侵攻に際して、大渡河で迎撃した。南詔が浮き橋をつくって渡ったところ、その半分が渡ったところを急襲して撃退した。南詔は兵を三分し、上流・下流にも浮橋をつくってすべて渡り、諸城柵を攻略して黄景復を挟撃したから、黄景復は敗走した。敗走しながらも三か所伏兵をもうけて、南詔軍が三分の二が過ぎたのをみて突如攻撃したから、南詔軍は二千の戦死者を出して敗走した。南詔の再侵攻に際して、南詔は講和を偽って、その間に渡河し、黄景復は連日戦ったが、西川の援軍が来なかったため、支えきれずに敗走し、軍は潰滅し、黎州も失われた。乾符二年(875)三月、西川節度使の
高駢に召喚され、大渡河失落の責任を問われて腰斬の刑に処された。
列伝・史料
最終更新:2022年11月12日 00:45