朱友謙 しゅゆうけん
?-926
唐末・五代の武将。本名は朱簡。字は徳光。許州の人。代々陳州に仕えた武人であったが、保義軍節度使の
王珙の部将となる。
光化二年(899)六月、
李璠が王珙を殺害して自ら節度使となると、同年十一月、李璠を殺して
朱全忠に降り、保義軍節度使となり、朱全忠から才能を賞されて義子となり、名を友謙と改めた。後に冀王に封ぜられた。護国軍節度使に任じられた。朱全忠が殺害されると、晋王
李存勗に帰順。李存勗の仮子となり、李継麟と改名したが、次第に疎んじられ、粛清された。『旧五代史』『新五代史』に伝がある。
列伝
『旧五代史』巻六十三 唐書三十九 列伝第十五 朱友謙
『新五代史』巻四十五 雑伝第三十三 朱友謙
外部リンク
最終更新:2026年07月28日 14:58