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王珙

王珙 おうこう

?-899
唐末の藩鎮・群雄。太原祁県(山西省祁県)の人。陝虢節度使王重盈の子。王瑤の兄。王珂の従兄弟。光啓三年(887)叔父で河中節度使の王重栄常行儒に軍乱を起こされて殺害されると、王重盈が河中節度使に任じられて河中に赴き、王珙は権知陝虢留後となる。その後、陝虢節度使(保義軍節度使)となる。乾寧二年(895)父が卒すると、河中節度使を窺ったが、王珂が河中節度使となったから、弟で絳州刺史の王瑤と共に反対した。王行瑜李茂貞韓建といった藩鎮の実力者が王珙を河中節度使に推したが、李克用の将李嗣昭と戦って敗れた。光化二年(899)、部将の李璠が軍乱を起こし、殺害された。『新唐書』『旧五代史』に伝がある。

列伝

『新唐書』巻一百八十七 列伝第一百一十二 王重栄 珙 珂
『旧五代史』巻十四 梁書十四 列伝第四 王珂 従兄珙

外部リンク

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』王珙
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%8B%E7%8F%99

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最終更新:2026年07月29日 23:12
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