崔琯 さいかん
?-845
中唐の官人。字は従律。唐代に「七姓十家」と称され、唐初に編纂された『氏族志』では唐室李氏を抑えて一等とされて太宗の怒りを買った名門中の名門である博陵崔氏第二房の出身。
崔頲の長子。
崔珙・
崔璪・
崔瑨・
崔璵・
崔球・崔珦の兄。牛李の党争では李党に属する。貞元十八年(802)進士に及第、吏部員外郎、給事中、工部侍郎・京兆尹、尚書右丞、荊南節度使、尚書左丞を歴任した。山南西道節度使で終わった。『旧唐書』 『新唐書』に伝がある。
列伝
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最終更新:2026年10月21日 00:28