契苾明 けいひつめい
649-695
唐代の貴族。
契苾何力の子。字は若水。麟徳年間(664-665)に賀蘭州都督となり、吐蕃との戦功で柏海道経略使、左威衛大将軍となる。改めて燕然道鎮守大使・検校九姓及契苾部落となる。さらに鶏田道大総管となり、烏徳鞬山にいたり、誘って二万帳を帰順させた。
武則天の時、左鷹揚衛大将軍となり、さらに朔方道総管・兼涼甘粛爪沙五州経略使を授けられ、証聖元年(695)十二月二十三日に涼州の姑蔵県の私邸で病死した。
列伝・史料
参考文献
外部リンク
最終更新:2024年11月15日 00:51