韋妃
?-757
唐代の女性。
韋元珪の娘。粛宗が忠王の時に孺人となって納れられた。忠王が皇太子となると、太子妃となり、兗王
李僴・絳王李佺・
永和公主・
永穆公主を産んだ。天宝年間(742-756)、宰相の
李林甫と皇太子は対立し、妃の兄
韋堅を刑部尚書とし、李林甫は無罪の人を罪におとしいれて柳勣の獄をなし、韋堅は連座して有罪となり、兄弟は死を賜った。皇太子は恐れ、上表して、妃と不仲であるとして離婚を願い出て、玄宗は離婚を許した。妃は剃髪して尼服を着て、禁中の仏舎にいた。安史の乱で長安が陥落すると妃は賊の手に落ちた。至徳二年(757)、長安で薨去した。『旧唐書』に伝がある。
列伝
『旧唐書』巻五十二 列伝第二 后妃下 粛宗韋妃
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最終更新:2024年09月02日 00:38