李林甫

李林甫 りりんぽ

683-752
盛唐の宰相(在任734-752)。唐の宗室の出で、小字は哥奴。高祖の従父弟の長平王李叔良の曽孫。父は揚府参軍李思誨。その世系は、李虎(太祖)→李禕→長平王李叔良→李孝斌→李思誨→李林甫である。玄宗の寵姫武恵妃に取り入って宰相となり、同じく宰相だった張九齢裴耀卿を失脚させ、玄宗の意に迎合して独裁的権力を持ちながらも、なおも反対勢力の弾圧につとめ、李適之楊慎矜韋堅がその犠牲となった。反対勢力の台頭を恐れるあまり、節度使の任用に異民族を任用したため、安史の乱の一因となった。死後、楊国忠に誣告され、一族は流罪となった。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。最盛期の唐を、自身の保身のための計略によって安史の乱を引き起こした端緒をつくったため、「中国古代十大奸相」に数えられる。

列伝

『新唐書』巻二百二十三上 列伝第一百四十八上 姦臣上 李林甫
『旧唐書』巻一百六 列伝第五十六 李林甫

外部リンク

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』李林甫
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%8E%E6%9E%97%E7%94%AB

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最終更新:2024年09月22日 02:31
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