王建

王建

847-918
唐末の群雄、五代十国前蜀の始祖。字は光図。神武聖文孝徳明恵皇帝。廟号は高祖。許州・舞陽(河南省舞陽県)の人。少時は無頼の徒。忠武軍に属し黄巣の討伐に参加、蜀に逃亡していた僖宗のもとにはしり、神策軍使となる。壁州刺史となり、亡命中の豪族たちを招集して勢力が盛んとなり、永平節度使となる。東川の顧彦朗、 西川の陳敬瑄らと争ってから、両川を併合、唐から蜀王に封ぜられた。成都で帝位につき、国号を大蜀と号した。国は豊かで、唐の人の乱を避けて亡命する者多く、これを礼遇したので文運が盛んであった。

史料

『旧五代史』巻一百三十六 僭偽列伝第三 王建
『新五代史』巻六十三 前蜀世家第三 王建

参考文献

『アジア歴史事典』2(平凡社,1959)

外部リンク

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 王建 (前蜀)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%8B%E5%BB%BA_(%E5%89%8D%E8%9C%80)

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2023年01月02日 23:10
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。