陳敬瑄
?-893
唐末の群雄・藩鎮。許州の人。宦官
田令孜の実兄。餅屋であったが、神策軍を経て、田令孜の昇任によって左金吾衛将軍・西川節度使を歴任して益州を支配し、
黄巣に逐われた僖宗を成都に迎えた。兄が失脚すると解任の命令が出されたが、これを拒否し、
王建の攻撃を受けて度々敗れ、ついに成都は陥落して捕らえられ、兄ともども殺害された。これによって益州全域は王建の手に落ち、五代十国の前蜀建国への布石となった。『新唐書』に伝がある。
列伝
外部リンク
最終更新:2023年03月02日 22:54