梁崇義

梁崇義

?-781
唐の武将。長安の人。怪力・寡黙の人物で、南東道節度使の来瑱に仕えた。宝応二年(763)来瑱が讒言によって殺されると、軍を収拾して自立し、河朔三鎮と同盟した。朝廷より留後を認められ入朝を勧められたが、来瑱が誅殺されたことを理由に行かなかった。建中二年(781)、李希烈の攻撃を受け、妻とともに井戸に飛び込んで自殺した。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。

列伝

『新唐書』巻二百二十四上 列伝第一百四十九上 叛臣上 梁崇義
『旧唐書』巻一百二十一 列伝第七十一 梁崇義

外部リンク

維基百科,自由的百科全書 梁崇義(中文)
https://zh.wikipedia.org/zh-tw/%E6%A2%81%E5%B4%87%E4%B9%89

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最終更新:2023年01月14日 02:29
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