李琟

李琟

?-785
唐の武将。李懐光の子。監察御史。建中四年(783)父李懐光が朱泚を攻撃して落城寸前の奉天を解囲して徳宗を救う大功を立てると、徳宗より監察御史に任じられた。徳宗は大変厚遇したため、父懐光が咸陽に駐屯して進撃しなくなると、密かに徳宗に父がいずれ叛くであろうことを上言した。徳宗は驚いて、「卿(なんじ)が大臣(李懐光)の愛子であることは知っているが、朕に委曲弥縫を密奏すべきである」と述べると、李琟は「臣の父は臣を愛していないわけではありません。臣もまた父と宗族を愛していないわけではありません」と述べ、徳宗はどのような策で自身が生き残るかと問うと、李琟は、進言で生を求めているわけではなく、父が敗れると自身もともに死ぬこと、もし父を売って生き延びたとしても陛下がどうして用いることがありましょうか、と述べた。徳宗は「卿(なんじ)は死んではならない。朕のために咸陽にいたって卿の父を説得し、君臣父子がともに全うすることがよい」と言って、李懐光の説得を命じたが、李懐光は「お前のような小僧に何がわかるか。主上は信じることがなく、私は富貴を貪っているのではない。ただ死ぬのが怖いだけなのだ。お前はどうして私を死地に陥らせようとしているのか」と拒絶した。徳宗はなおも李琟を救うために、その父李懐光を再三全うしようと奔走したが、李懐光が死ぬと、李琟はその弟二人を斬って、自殺した。

列伝・史料

『新唐書』巻二百二十四上 列伝第一百四十九上 叛臣上 李懐光
『資治通鑑』巻二百三十二 唐紀四十二 徳宗 貞元元年八月甲戌条

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最終更新:2023年01月16日 00:10
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