烏承恩

烏承恩

?-758
唐代の武将。烏知義の子。戦場ですぐれた功績をあげたことから、「轅門二竜」と並び称された。信都刺史で、常山が史思明に攻撃されると、刺史の王俌は降伏しようとしたため、城の諸将は王俌を殺し、使者を派遣して烏承恩に常山の守備を願ったが、許さなかった。信都が包囲されると、母・妻子が捕らえられていたため史思明に降伏した。史思明が唐に帰順すると、烏承恩も唐に帰順したが、李思敬とともに史思明のもとに派遣されて賊の討伐を促した。朝廷より河北節度副使に任じられ、史思明の間諜を行ったが、発覚して持ち物より誅殺リストや李光弼の書状が発見されたため、子とともに杖殺された。

列伝

『新唐書』巻二百二十五上 列伝第一百五十上 逆臣上 史思明

外部リンク

维基百科,自由的百科全书 乌承恩
https://zh.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%8C%E6%89%BF%E6%81%A9

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最終更新:2023年03月31日 00:54
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