烏知義
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唐代の武将。平盧軍使。
烏承恩の父。開元二十三年(735)契丹の可突于が辺境に侵寇したので、幽州長史の
薛楚玉・副総管の烏知義・
郭英傑・
呉克勤・
羅守忠は一万騎および奚をひきいてこれを撃ち都山の下に戦った。可突于は突厥兵をもって来攻したので、奚はおそれてどちらにもつかず、部衆は走って険に拠った。烏知義・羅守忠は敗れ、郭英傑と呉克勤とは戦死し、唐兵一万人が殺された。開元二十六年(738)、
張守珪の将趙堪と白真陀羅が烏知義に奚の余党を攻撃するように命じ、烏知義は固辞したが、白真陀羅が詔を偽って脅したため攻撃したが、敗れた。
史思明が最初に仕えた武将である。
列伝
最終更新:2023年03月30日 23:28