史朝義

史朝義 しちょうぎ

?-763
唐代の叛将。大燕第四代皇帝(在位761-763)。史思明の庶長子。史朝清の兄。父が即位すると懐王に封じられた。軍功をあげたが、史思明が史朝清を皇太子にしようとしたため史思明、史朝清、辛皇后を殺害、大燕皇帝に即位した。しかし軍中の支持はなく、唐に敗れて離反が相次ぎ、幽州で自殺し、李懐仙が首を斬って長安に献上、ここに9年(755-63)にわたる安史の乱が平定された。李懐仙によって葬られたが、その場所は不明である。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。

年号

顕聖 761-763

后妃

(存否不明)

子女

(存否不明)

宰相

李懐仙 763

列伝

『新唐書』巻二百二十五上 列伝第一百五十上 逆臣上 朝義
『旧唐書』巻二百上 列伝第一百五十上 朝義

外部リンク

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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%B2%E6%9C%9D%E7%BE%A9

 前代(第三代)   大燕 第四代皇帝     次代   
 昭武皇帝     史朝義        ー    

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最終更新:2025年08月18日 00:42
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