李懐仙

李懐仙

?-768
唐代の河朔藩鎮の部帥。初代盧龍軍節度使。柳城(遼寧省朝陽県)の胡人。代々契丹につかえて営州を守った。安禄山が反すると、これにしたがって河洛をおとしいれた。安禄山が子の安慶緒に殺されてのちは、安慶緒にしたがったが、安慶緒が史思明に殺されるにおよんで史思明にしたがった。ついで父思明を殺した史朝義にしたがい、燕京留守范陽尹を授けられた。761(宝応1)年、史朝義を斬首して唐に帰順し、当時私党をたてようとしていた僕固懐恩によって推挙された。代宗は彼に幽州大都督府長史検校侍中幽州盧竜等軍節度使を授けたが、李懐仙は朝命に服する色なく、賊将薛嵩ら3人と河を分けて率いた。西蕃が入寇すると、李懐仙ら4将は、おのおの数万の強兵を擁し、文武の官をほしいままに署置(人を官職におくこと)して貢賦を入れず、中央離反の構えをなした。しかし768 (大歴3)年、配下の部将朱希彩に殺された。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。

列伝

『新唐書』巻二百一十二 列伝第一百三十七 藩鎮盧龍 李懐仙
『旧唐書』巻一百四十三 列伝第九十三 李懐仙

参考文献

『アジア歴史事典9』(平凡社、1962年4月)

外部リンク

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 李懐仙
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%8E%E6%87%90%E4%BB%99

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最終更新:2024年07月12日 01:50
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