皮日休
834-881
唐末の官僚・文人・詩人。襄陽の人。字は襲美、逸少。性放胆で鹿門山に隠居し、酒をたしなみ酔吟先生と号し、酔士と自称し、また閑気布衣とも号した。文章にすぐれ、最も箴銘をよくした。867(咸通8)年の進士。著作郎より太常博士となった。長安に入った
黄巣軍にとらわれ、翰林学士に署されたが、黄巣は彼が自分をそしるであろうと疑い殺したという。一説には黄巣の賊難を避けて会稽に行き、呉越王のもとで太常博士となり、礼部を贈られ、子の皮光業は宰相に、孫の皮璨は元帥府判官となり、みな文をもって江東に名高かったという。
陸亀蒙と意気相投じ、『松陵唱和詩集』があり、またその著に『皮子文藪』『鹿門隠書』等がある。日本の留学僧円載と親しく、送別詩を贈っている。
参考文献
『アジア歴史事典』(平凡社,1961年10月)
陳舜臣『唐詩新選』(新潮社,1989年1月)
外部リンク
最終更新:2023年05月29日 09:40