陸亀蒙 りくきもう
?-881頃
晩唐の在野の文人。農学者。蘇州・長洲(江蘇省呉県)の人。字は魯望。号は江湖散人・天随子・甫里先生。陸氏蘇州の名族。7世の祖
陸元方は
武后時代の宰相、父
陸賓虞は侍御史。進士に及第せず、『春秋』を好み、郷里で著作に専念するかたわら農業に従事し、400畝の田を耕夫10人、牛10頭を使って経営し、みずから農具をとって湿田を開墾、農業の改良を行なった。また茶をたしなみ、茶園を顧渚山下に経営、茶品種・水質を論じた。人物は潔癖性急で孤高、常に舟に乗り、束書・茶竈・筆牀・釣具をたずさえ、隠逸の生涯を送り、晩年には高士をもって召されたが出せず、死後、
昭宗の光化年間(898-901)、右補闕を贈られた。著書が多く、農書『耒耜経』1巻をはじめ、親交のあった
皮日休と相唱和した詩を集めた『松陵唱和詩集』『呉興日録』『笠沢叢書』4巻、『唐里先生文集』20巻(『四部叢刊』所収)、『小名録』1巻、『記錦裾』1巻、『漁具詠』1巻、『陵総記』1巻がある。『新唐書』に伝がある。
列伝
参考文献
『アジア歴史事典9』(平凡社,1962年4月)
外部リンク
最終更新:2025年05月24日 10:04