拓抜思恭

拓抜思恭

?-886
唐末の武将・藩鎮。党項の人。拓抜思寂の子。咸通年間(860-874)末に宥州を占領して刺史を自称した。黄巣が長安に侵入すると鄜州刺史の李孝昌とともに賊の討伐を誓い、左武衛将軍、権知夏綏銀節度事に任命された。中和二年(882)京城西面都統、検校司空、同中書門下平章事に任命され、四面都統、権知京兆尹となった。黄巣が平定されると、太子太傅を兼任し、夏国公に封じられ李姓を賜わった。後の西夏の先祖にあたる。

本紀・列伝

『新唐書』巻二百二十一上 列伝第一百四十六上 西域上 党項
『旧五代史』巻一百三十二 世襲列伝第一 李仁福

外部リンク

维基百科,自由的百科全书 李思恭(中文)
https://zh.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%8E%E6%80%9D%E6%81%AD

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最終更新:2023年05月29日 10:55
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