西門思恭

西門思恭

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唐末の宦官・武将。貧しかったが鄭畋の父鄭亜の推薦により官につき、後に西門思恭は鄭畋が長ずるとこれを養育した。左監門衛上将軍であったが、乾符三年(875)七月、右威衛上将軍に任じられた。観軍容使となり、中和元年(881)七月に天下行営兵馬都監押に任じられたが、間もなく楊復光に交替させられ、王鐸の都監となった。黄巣に長安を占領されると終南山に逃れたが、鄭畋に救出されて彼の私邸に養われて卒した。

本紀・列伝・史料

『新唐書』巻二百二十五下 列伝第一百五十下 逆臣下 黄巣
『旧唐書』巻九下 本紀第十九下 僖宗 乾符三年七月条、中和元年七月丁巳条
『北夢瑣言』巻十三

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最終更新:2023年05月29日 23:05
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