西門思恭 せいもんしきょう
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唐末の宦官・武将。貧しかったが
鄭畋の父
鄭亜の推薦により官につき、後に西門思恭は鄭畋が長ずるとこれを養育した。左監門衛上将軍であったが、乾符三年(875)七月、右威衛上将軍に任じられた。観軍容使となり、中和元年(881)七月に天下行営兵馬都監押に任じられたが、間もなく
楊復光に交替させられ、
王鐸の都監となった。黄巣に長安を占領されると終南山に逃れたが、鄭畋に救出されて彼の私邸に養われて卒した。
本紀・列伝・史料
最終更新:2026年09月15日 02:20