楊復光 ようふくこう
842-883
晩唐の宦官。福建閩県(現在の福建省福州市)の人。本姓は喬氏。内常侍
楊玄价の養子となる。武勇に優れ、乾符年間(874-879)初頭、平盧節度使の
曾元裕の監軍となる。
黄巣の乱が発生し、招討使
宋威が
王仙芝を江西で攻撃すると、王仙芝の降伏をはかったが、宋威の横取りにより頓挫、宋威は罷免され、
王鐸が招討使となり、楊復光は監軍となった。忠武軍の監軍となって鄧州に陣を敷き、忠武軍節度使の
周岌と盟を結び、
秦宗権を抑え、鄧州を攻略した。王淑の軍を八都(部隊)に分け、
鹿宴弘・
晋暉・
張造・李師泰・
王建・
韓建らをその将とした。賊将の朱温(のちの
朱全忠)を投降させ、
李克用軍の援用を説いた。開府儀同三司・同華制置使となり、弘農郡公に封ぜられ、「資忠輝武匡国平難功臣」の号を賜った。養子に
楊守宗、義従兄弟に
楊復恭がいる。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。
列伝
外部リンク
最終更新:2024年09月09日 01:54