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王鐸

王鐸 おうたく

?-884
晩唐の宰相(在任870-873、881-883)・藩鎮。字は昭範。王炎の子。王鐐の兄。文宗の宰相王播の甥にあたる。進士に及第し、右補闕・集賢殿直学士に任じられ、白敏中の西川節度使に辟署された。咸通年間(860-874)後半、中書舎人・礼部侍郎、御史中丞、戸部侍郎、判度支を歴任。咸通十二年(871)、礼部尚書、同中書門下平章事(宰相)に昇進し、門下侍郎・尚書左僕射を加えられ、さらに司徒(任877-879)となった。咸通十四年(873)宰相を罷免され、乾符六年(879)宣武軍節度使となり、僖宗が即位すると尚書左僕射となる。鄭畋の推薦もあり、中和元年(881)二月、門下侍郎・平章事(宰相)に再任した。黄巣の乱が勃発すると、自身に諸将を率いさせて反乱軍の鎮圧にあたることを要請し、侍中・荊南節度使・諸道行営都統に任じられたが、登用した将軍李係が戦闘以前に敗走して湖南を失陥させたから、罷免された。再度、司徒(任881-883)に任じられ、中和二年(882)に義成節度使、諸道行営都統、判延資庫使・戸部・租庸等使となって周岌・王重栄・諸葛爽・康実・安師儒・時溥の諸軍を指揮下に置き、長安が奪還されると勲功は関東諸鎮の中で第一とされた。田令孜の讒言により都統を罷免された。中和四年(884)、義昌軍節度使に任命されたが、赴任途中魏州に立ち寄ると、節度使の息子の楽従訓に襲撃され、家族・部下三百人あまりと共に殺害された。鄭畋と共に朝廷の中で黄巣の乱に対処して功績があった人物であった。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。

列伝

『新唐書』巻一百八十五 列伝第一百一十 王鐸
『旧唐書』巻一百六十四 列伝第一百一十四 王播 炎子鐸

外部リンク

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最終更新:2026年09月28日 22:06
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