吉本伊信(1916~1988)
内観法の創始者。内観法は、昭和40年ごろから医学界に導入され、
学校教育界や企業教育の世界にも広がった。昭和42年には、試行錯誤の末内観三項目が成立し、昭和40年代前半に現在「吉本原法」と呼ばれる内観のスタイルが完成。昭和53年には日本内観学会が設立されている。しかし、吉本自身は自らは創始者と呼ばれることを嫌い「わては内観のチンドン屋です」と講演などで話していた。
吉本は死の直前まで研修所で面接に当たり、昭和63年8月1日、肺炎で死去する。遺体は奈良県立医科大学に献体された。
人柄
丸顔、ハゲ頭、牛乳瓶の底のような度の強い丸眼鏡。それだけでも漫画のようだが、大阪弁丸出しでしゃべくり、落語家はだしの講演をすると、聴衆は爆笑の渦に巻き込まれる。その多くがテープで現在に残されている。テレビやラジオにもよく出演した。おもろいおっさんやなあ、と思って弟子の方たちの話を聞くと口をそろえて「厳しかった」「怖かった」という。決して声を荒げることはなかったが、ズバリとはっきり厳しいことをいう。中には6年間笑ったところを見たことがなかったなどという声さえ聞かれた。会社で部下だった人の話などでは優しかったという。こと、内観に関して、特別に厳しいものを持っていたようだ。
根本的なことは徹底的にこだわるかと思えば、枝葉のことは実に融通無碍。どケチかと思うと、ポンと数億円、老人ホームの建設のために寄付したりする。常人ばなれしていた、というしかない。
というような人であったようだ。
りえ
最終更新:2007年10月27日 23:20