内観法
内観法は、吉本伊信氏(1916~1988)によって開発された「自分を知るための方法」である。
内観法は仏教の修行法がベースになっているが宗教色は取り除かれているため、だれもができる方法である。
そうしたことから今日では医療界、
学校教育界、矯正界、企業の人材育成など様々な分野で実践されている。
内観法は、日本で生まれたが、現在は世界9ヵ国で実践されていて、日本生まれの心理療法として国際的な評価も得られている。
内観法は心理療法として医療界で実践されるようになってから内観療法と表現されることも多く、また単に内観とだけ表現されることもあるが、これらは表現が異なるだけで内容は同じである。
内観法のやり方
内観法の具体的なやり方は、父母、兄弟姉妹、配偶者、祖父母というような身近な人に対して
- していただいたこと
- して返したこと
- 迷惑をかけたこと
という3つの観点で自分自身を調べていく。この三つの観点を「内観三項目」(内観三問)という。まずもっとも身近な人(通常は母親)に対して、
小学校低学年のときの自分自身を調べる。相手のことを調べるのではなく、その相手との具体的なエピソードを思い出し、自分自身のことを調べるのが特徴。調べる内容も、その時の感情や主観をもとにするのではなく、事実を調べる。小学校低学年のときを調べ終えたらその次には小学校高学年、中学校というように3年から5年区切りで年代順に調べていく。そしてもっとも身近な人に対しての自分を調べ終えたら、その次に身近な人(通常は父親)に対して同じように年代順に調べる。一時間から二時間に一度、内観者(クライエント)のもとに面接者(セラピスト)が訪れる。内観者はその時間に調べた内容を懺悔告白し、面接者はその内容を傾聴する。
自分の心を直接掘り下げるのでなく、他者をいわば鏡として外から自分を客観視する点も特徴である。
内観法には、大きく分けると集中内観と日常内観がある。
集中内観は内観法を身につけるために研修所や病院などの静かな部屋に一週間こもり、外界とのやり取りを制御し、集中して行うもので、日常内観は日常生活を営みながらする内観である。一週間の集中内観により、しばしば劇的な人生観、世界観の転換が起こり、心身の疾患が治癒することが多い。認知の枠組みが転換する点は認知療法と共通するものがある。一般的に「内観法をやったことがある」と表現する場合は一週間の集中内観のことを意味していることが多いようだ。
日常内観は集中内観で会得した反省の技術を生かし、日常生活の中で毎日、一定時間、内観三項目を通して自分を調べる内観である。吉本はこれを非常に重視したが、内観の世界では、日常内観の出来る人を一人前の内観者だと考えていますが、日常内観は難しいため、まずは集中内観を体験してみるのがいいといわれている。
内観法の前身・身調べ
内観の前身は、
浄土真宗系の信仰集団、諦観庵(たいかんあん)に伝わる「身調べ」であった。なお一部に身調べが浄土真宗木辺派に伝わる修行法と紹介されているが、これは誤りである。また「隠れ念仏」「隠し念仏」とも誤解されるが、いずれとも無関係である。禅宗の修行法などという解説もあるが、論外である。
「身調べ」は断食・断眠・断水という極めて厳しい条件の下で自分の行為を振り返り、 地獄行きの種が多いか、極楽行きの種が多いかを調べるというものだった。また、秘密色が強く、身調べの途中は親が来ても会わせないという閉鎖的なものだった。これにより、「宿善開発(しゅくぜんかいほつ)」または「信心獲得(しんじんぎゃくとく)」という一種の悟りのような体験をして、阿弥陀仏の救済を確信するというものだったという。吉本は昭和11年から4度にわたる身調べを繰り返し、12年11月、宿善開発を達成する。昭和15年ごろから吉本は師の駒谷諦信とともに身調べから秘密性、苦行性を除き、万人向けの修養法・内観に改革してゆく。昭和16年には内観法の原型が完成する。(詳細は
吉本伊信「内観への招待」朱鷺書房に詳しい)
最大の眼目は一週間の集中内観終了後の日常内観を重視するということである。まだ内観三項目は成立していなかった。当時の質問は「誰々に対する自分を調べてください。よいことを多くしましたか、悪い事を多くしましたか」というものだった。
内観法の普及
はじめ吉本は企業経営をしながら自宅で希望者に内観をさせていたが、昭和28年、事業から引退し、大和郡山市に内観道場(のちの内観研修所)を設け内観指導に専念する。昭和30年代には教誨師となり、刑務所や少年院での内観普及に尽力し、昭和35年ころには有力な矯正手法として全国各地の矯正施設で採用される。死刑囚ややくざの親分が改心するなど、大きな効果を上げ、マスメディアでも取り上げられた。その過程で、宗教色を払拭してゆく。(矯正施設での宗教行為は憲法で禁止される。)
また昭和40年ごろから医学界に導入された。福島県須賀川市の開業精神科医・石田六郎、岡山大学精神神経科教授奥村二吉らが内観療法の先駆者である。心療内科の草分け、九州大学教授・池見酉次郎も関心を持った。心理学者では京都大学教授・佐藤幸治、信州大学教授・竹内硬、
東京大学教授・村瀬孝雄、大阪大学教授・三木善彦らが注目した。また学校教育界や企業教育の世界にも広がった。
試行錯誤の末、内観三項目が成立したのは昭和42年である。昭和40年代前半に現在「吉本原法」と呼ばれる内観のスタイルが完成する。昭和53年には日本内観学会が設立されている。その後、全国、さらには外国にも内観研修所が設けられるようになった。
しかし、この方法には、以下の欠点もある。
欠点
① 虚偽や錯誤の報告かどうかを判別する方法が無い
② 言語報告をするので、言語を持たない対象には利用できない
③ 意識化できない部分について報告できない
などをもつ。
そのため近代心理学は次第に主観性の強い内観的方法から離れ、客観性の高い行動に注目するようになっていった。
豆知識
内観法は、江戸時代の禅僧・白隠の著書「夜船閑話(やせんかんな)」に紹介されている心身のリラックス法でもある。白隠は修行時代心身のバランスを崩してノイローゼ状態(禅病)に陥ったが、京都白川の山奥に住む「白幽子」という仙人に伝授された「内観の法」により健康を回復したという。有名なものに「軟酥(なんそ)の法」がある。頭の上に鴨の卵ほどの軟酥(クリームのようなもの)の塊があるとイメージし、それが次第に融けて流れ出し、自分の体の調子の悪い部分を浸し、症状を洗い流してしまうと観想する方法である。
自律訓練法に似ているとされる。
したがって、白隠内観法と言われることもあるため、内観法ではなく、吉本内観法ということもある。
りえ
最終更新:2007年10月27日 23:17