『学校と社会』
「学校と社会」は、ジョン・デューイというアメリカの学者が、1899年に主に保護者に向けて連続講演したものを、本にして出版したものである。
主に、学校と社会の関係から、今の学校が抱える問題、さらに政策提言の概要までが述べられている。この本の一番の魅力は、出版されてから100年以上が経過しているのにもかかわらず書いている内容は、現代の教育問題をついているようであることだろう。そのため、教育問題の根幹を突いている本とも言っても過言ではない。
この本の著者である
デューイは、学校とは、国の政策を子供たちが直接受ける大変重要な場であり、将来社会を担う人間を育てる場であり、社会が変化しても学校は変化しないのは重大な問題であると言う。
少し前の世代までは、生活に必要なものを自分の家で、もしくは自分が隣近所と協力して作っていた。その過程から学べることは数多かった。そのころは、秩序・勤勉・責任、誠実で、他者との協力や各自の本分をつくすことが実際の必要として絶えず存在した。また、ものを作るということから、創造性や論理的思考能力も育てられた。しかし、現代社会ではあまりみなれない光景となってしまった。戻りたくても戻れない世界だ。そんな今の社会を生きていく私たちに必要なのは、社会の変化に合わせて、私たちが失った代わりに得たものを的確に見極め、その長所を残しつつ、かつては自然に学べていたことを補うことである。
今日、少年犯罪が増加の一途をたどっているのは、このようなことができていないからであろうとも言える。
何世代か前は、子供の大半は親元で近所の子供たちと過ごし、さまざまな秩序や礼儀を学んできたが、学校制度が施行されてからは、親元から離し、その代わり5教科のような一方的な知識をつける授業に時間を費やしていたら、知識の代わりに、学校制度が敷かれる前まで自然に育っていた能力は育たなくなるのは当然ともいえるだろう。だから、学校制度を敷いて、ある程度子供に対して一律な知識を身につけさせる必要があるのであれば、学校はやり方を変えなければいけない。
にも関わらず、現代は知識ばかりに重きを置いた教育は過剰になる一方である。
このような問題に対して、デューイは、学校で子供に教育する際、「技術」や「家庭科」を中心にするのがよいと主張する。
現在のような講義形式では、論理的思考や言語能力を育てることはできても、その他、自然や感覚に関しては、現実離れして実感を伴うことはできない。そこで重要になってくるのが、技術や家庭科といった科目である。これらの科目はデューイ曰く「生活及び学習の方法」である。「学校は生きた社会の純粋な一形態」であり、「社会生活の第一義的な必要条件のいくつかを納得させる媒介」であるのに今の学校には、「共通の、生産的な活動という要素が欠けている」ので、生活及び学習の方法である技術や家庭科で、友人と協力しあって学ぶのが一番であると主張している。
家庭科と技術中心の
学校教育がはたして効果を産むのかどうかは
意見の別れるところであると思うが、デューイのこのような主張は学校教育がこれから変革をする際のとても重要な手がかりを提示しているのではないかと感じる。
現代の学校教育は、知識に偏りすぎているのは間違いないだろうというセリフは、あちこちで聞くようになった。人として生きていくのに必要な能力は、知識ではほとんど身につかない。日本の学校は、100年前とほとんど同じ体質であり、社会の変化に対して成長していない。
この本でデューイは、現在のような授業では「自然や感覚に関しては、現実離れして実感を伴うことはできない」というが、これは私たちの学校における経験を通して証明されるだろう。
この本は教育問題や改革を起こすための重要な本となるだろうと思う。
参考URL
vanotica.net/archives/000972.html
りえ
最終更新:2007年05月03日 23:02