宗教改革


16世紀ころ、ローマカトリック教会の弊害に対して改革を企て、分離してプロテスタント教会を立てた宗教運動。

1517年、ルターが『95カ条の論題』を提出して教皇(レオ10世)の贖宥状販売を攻撃し、「人は功績に寄らず信仰のみによって救われる」と主張し教皇権を否認したことから、全ヨーロッパを巻き込み、宗派分裂時代の幕を開けた。

 教会の搾取に対する農民の不満、教会の権威や伝統に対する批判、魂の救済を求めるカトリックの動きなどがあり、14世紀頃のウィクリフ・フスなどが改革の先駆となった。
ドイツ農民戦争(1524~25)ののち、旧教徒(カトリック)と新教徒(プロテスタント)の間ではシュマルカルデン戦争が勃発したが、1555年アウクスブルクの和議で領内でのルター派の信仰は自由とされた。


 その後、ツヴィングリ・カルヴァンによって全ヨーロッパに広がり、特にカルヴァン主義の禁欲的な生活理論(神の絶対主権を強調する厳格な厳欲主義)は、フランスのユグノー、イギリスのピューリタン、オランダのゴイセンなど、当時の中産的産業市民層に信奉され、資本主義の発展を促す倫理的要素となった。


イギリスでは、 
ヘンリ7世により絶対主義が成立。
        教会も王権の下に置かれていた。
ヘンリ8世の時、離婚を認められず、ローマ教会から独立を決意。
        首長法(1534)により国王がイギリス国内の教会の首長であるとした。
エドワード6世の時、教義面の改革が進む。
メアリ1世の時、一時カトリックに戻る。
エリザベス1世の時、統一法(1559)が出され、イギリス国教会が確立。
        (教義や儀式はカトリック的な要素が多く残った。)

最終更新:2007年03月20日 21:21