ルター



マルティン=ルター(1483~1546)

北ドイツの鉱山業者の子どもとして生まれた。初め、法律学を学んだが、回心してアウグスティヌス修道院に入り神学を深め、ヴィッテンベルク大学神学教授となる。

1517年、贖宥状(免罪符)販売に講義して『95カ条の論題』を発表し、宗教改革の発端となった。

1519年、ライプチヒ討論でローマ教皇・宗教会議の権威を否定し、破門される。
1520年、『キリスト教の自由』を公刊して信仰義認説を主張。
1521年、皇帝カール5世によってヴォルムス帝国議会に召喚されたが自説の取り消しを拒否。
その後、ザクセン選帝侯に保護され『新約聖書』のドイツ語訳を完成させた。


1524年、ドイツ農民戦争が始まると、初めは農民に同情的であったが、農民の農奴制廃止運動に反対し、諸侯による鎮圧を支持した。



「救いは行いによらず信仰のみによる」

と説いた。
最終更新:2007年03月20日 21:36