ユング

カール・グスタフ・ユング(Carl Gustav Jung、1875年7月26日 - 1961年6月6日)は、スイスの精神科医であり心理学者でもある。当時の精神医学ではほとんど治癒出来なかった各種の精神疾患に対する療法の確立を目指し、ピエール・ジャネやウィリアム・ジェームズらの理論を元にした心理理論を模索し、深層心理について研究した。その結果分析心理学の理論を創始した。
フロイトの精神分析学の理論に自説との共通点を見出したユングはフロイトに接近し、一時期は蜜月状態となるが、徐々に方向性の違いから距離を置くようになる。
フロイトと別れた後は、人間心理はフロイト式の抑圧感情に還元され得る部分も存在する事は認めつつも、それは局面の一つ以上ではないと考え、フロイトが想定したよりも遙かに広く大きいものとして無意識を再定義した。
ユングの患者であった精神疾患者らの語るイメージに不思議と共通点がある事、また、それらは、世界各地の神話・伝承とも一致する点が多い事を見出したユングは、人間の無意識の奧底には人類共通の素地(集合的無意識)が存在すると考え、この共通するイメージを想起させる力動を「元型」と名付けた。また、晩年、共時性(シンクロニシティー)の概念を提起した。
1948年に共同研究者や後継者たちと共に、スイス・チューリッヒにユング研究所を設立し、ユング派臨床心理学の基礎と伝統を確立した。またアスコナで開催されたエラノス会議において、主導的役割を演じることで、深層心理学・神話学・宗教学・哲学など多様な分野の専門家・思想家の学際的交流と研究の場を拓いた。

ユング心理学の特徴

ユング心理学(分析心理学)は、他派と比べ心理臨床において夢分析を重視する。夢は集合的無意識としての「元型イメージが日常的に表出している唯一の現象」でもあり、また個人的無意識の発露でもあるとされる。夢の分析は先駆者であるフロイトが既に重視していたことであった。しかしユング心理学の夢解釈がフロイトの精神分析と異なる点は、無意識を一方的に杓子定規で解釈するのではなく、クライアントとセラピストが対等な立場で夢について話し合い、その多義的な意味・目的を考えることによって、クライアントの心の中で巻き起こっていることを治癒的に生かそうとする点にある。
また、日本のユング心理学はその心理臨床において箱庭療法を積極的に取り入れたことでも知られている。そのほかにも、コンプレックス、類型論、無意識などもユングの特徴として挙げられる。
1948年に共同研究者や後継者たちと共に、スイス・チューリッヒにユング研究所を設立し、ユング派臨床心理学の基礎と伝統を確立した。またアスコナで開催されたエラノス会議において、主導的役割を演じることで、深層心理学・神話学・宗教学・哲学など多様な分野の専門家・思想家の学際的交流と研究の場を拓いた。ユング心理学は芸術的・宗教的色彩の濃い題材に切り込んで行ったため、分析的・科学的でないと評価される事も多い。欧米ではユングの考えはニューエイジ運動に影響を与えたが、これらの運動のなかには、ユングの考案した概念や用語を流用しているものの、ユングの理論とは異なる自己解釈を展開している事例もよく見られる。 ユングは、東洋哲学からも影響を受けている。特に、任地の中国で東洋哲学の影響を受けたキリスト教宣教師リヒャルト・ヴィルヘルムに出会い、その影響を深めた。 例えば、そのヴィルヘルムとの共著の中で、中国仏教に関して次のような記述がみられる。 「私の患者には、一人の中国人もいなかったのですが、彼らの心的発展を研究して得たものは、何千年来東洋の最もすぐれた精神の持ち主たちが苦労して切り開いた教えと実によく対応していました。」

ナチズムや反ユダヤ主義との関わり

ナチスが政権を取った1933年、ドイツ精神療法学会が改編されることになりヒトラーに反対したユダヤ人のエルンスト・クレッチマーがその会長を辞任。新たに設立された国際精神療法学会の会長にユングが就任した。これをもって、ユングはナチスに加担してクレッチマーを追い落としたと一部に言われたが、後にユングは精神療法という学問分野を守りたかったので非ユダヤ人である自分が会長職を引き受けたと弁解している。
実際、ナチスからの影響を逃れるために国際精神療法学会の本部をスイスのチューリッヒに移し、ドイツ国内で身分を剥奪されたユダヤ人医師を国際学会で受け入れ、学会誌にユダヤ人学者の論文が掲載されるように図っている。しかし、ナチスが国際精神療法学会に干渉してナチスへの忠誠を誓うマニュフェストが学会誌に掲載されたために会長のユングは激しく非難される。ユングはこの非難に対しては即座に反論しているが、ユングがナチズムの賛同者であったという説はその後も根強く残った。
長年にわたってユングの秘書を務めたユダヤ人アニエラ・ヤッフェによれば、「ナチスへの対応には甘いところがあった」が、ユングはナチスの反ユダヤ人政策には明確に反対しており、ユダヤ人のドイツ脱出支援活動にも関与していたとしている。
ユダヤ人のフロイトが創始してユダヤ人仲間が集まって発展した精神分析学にとって、非ユダヤ人でチューリッヒ大学の講師であったユングの離反は大きな失望を生み、それがフロイト派からユングへの憎悪につながったとされる。更に、ユダヤ人のフロイトやアドラーを批判したユングをナチスは利用した。この点でユングの言動については批判する者もあり、今日に至るまで論争の的となっている。


りえ
最終更新:2007年11月16日 00:20
添付ファイル