この世に生きる喜び -Theme song- ◆xR8DbSLW.w


○謬想/ヒノカゲクウドウ・クマガワミソギ・ヤスリナナミ・ハチクジマヨイ○


叫んだ先を振り返るとそこにいたのは、ツインテールの小柄な少女。
全力で走ってきたのだろう。
そんなことは考えるまでもなく、窺える。
息切れを途切れさすことなく、肩を上下に揺らしながら、彼女は弱々しく、登場した。

「阿良々木さーん! いないんですか!」

虚しく響く声は、誰の心にも響かない。
彼女の眼は、何処にも向いていなかった。
日之影は愚か、鑢七実の凍てついた視線だって気付いていない。
虚空を見続ける少女。
常に守られてきた少女。
力もないし、知恵もないし、器量もないし、度胸もない。
日常と非日常とを渡り歩いている彼女にだって、非常識、というわけではないのだ。
親しき人の死なんて言うまでもなく。


――――好きな人の死なんて夢にも思えなかった。


ただ、その現実は明確に存在して、確実に続いている。
例えそれが、受け入れられない現実だとしても。


少なくとも、彼女。
鑢七実にとっては、その介入は都合のいいものであった。
故に、逃すわけもない。
故に、壊すほかにない。
八九寺の瞳に映る現実を押しつけて。
八九寺の眼に映える幻想を潰すだけ。

――――日之影空洞、今しがた介入した八九寺真宵という「雑草」を刈り取るにはもってこいの機会。

七実の顔には、三日月形の笑みを隠すことなく、晒している。
寒気すら覚えるその笑みは、八九寺には映らない。
――――しかし、日之影空洞にははっきりと、映った。
――――だから、彼は気付いていた時には八九寺の元に走っていた。
考える時間を惜しんで、直感、いや本能といってもいい反射で日之影は八九寺の元へ走る。

「………煩いですね」

そんな日之影の姿など露知らず。
口調とは裏腹に、どこまでもホッとしたように言う。
肩を竦め、溜息を吐いた――――と、同時に七実は、八九寺の元へと走る。

正確に走った、描写をしていいのかも不明瞭な、怒涛の速さ。

内容を説明してしまえば、忍法・足軽と、虚刀流の足運びの合わせ技。
と言うほかないが、言葉ではとてもじゃないほど表現しきれなかった速さで、八九寺に迫る。
かつて。それはとある年の四月のこと。
真庭忍軍十二頭領が一人。虫組、「棘々の蜜蜂」こと真庭蜜蜂は、その速さに目が追いつかなかった。
……ならば、八九寺真宵にその速さが見取れる道理が何処にあろうか。――――いや、ないだろう。

「…………へ」

空気が漏れたかのような、間の抜けた声を発する。
八九寺の視界には、ようやくといった感じで映ってしまう。

ただ、呆然とした。

瞬きすらも許されず、大好きな人を求めてやってきたのに、目の前には、石の塊を振りかぶる修羅。
背丈としてはほとんど変わらないが、とても大きく絶望を照らし出す。

「……………ぁ」

思わず、声が漏れ出していた。
既に、頭上には石の塊。
勢いよく振りかざされたそれは、迷いもなく、八九寺の頭に――――。


「オォラァァァァアアアッッ!!」


――振りかぶることは、叶わなかった。
七実の身体は、“風圧”によって再度吹き飛ばされる。

予定調和と言えば、予定調和。
七実は頬を歪またまま、静かに爪先から着地を果たす。

「…………ぁ、あ、ぁあ、ああ」

声に成っていない声をする方を向けば、そこに先ほどの少女の姿は見えない。
確かに存在こそしているが、七実からは生憎見えない。
実際には、尻餅をついて、ガタガタと震えている八九寺の姿はある「隔たり」を以て視界に映らない。
「隔たり」。
大きな。
とても高校生の物とは思えない巨大な人影。


日之影空洞――――英雄が立っていた。


「おら、来いよ過負荷(マイナス)。この俺が――――正面切って戦ってやんぜ」


七実は耳に声が届いた。
前方から、吹き飛ばされた方から。

「……あら」

目を凝らす。
何でも見取ってしまうその目を、凝らす。
と。
やがて――――。

「ようやく、姿を捕らえることが出来ました」

人吉善吉は、日之影空洞の姿を視認するのに苦労する。
ただ言いかえるのであれば――――決して永遠に見れない訳ではない。
何時かは、見れる。
隣にいたとして。遠くにいたとして。
傍にいたとして。果てにいたとして。
目を凝らし、意識を研ぎ澄ましていれば――――いずれ見ることも可能となる。
――――元々人付き合いがとても得意とは言えない。シャイとは言えないけれど、
そんな一つの繋がりが発見しやすさの確率に拍車をかけた。

堂々と、果敢と、勇壮に。
屈することなく、凛とした気色で、
臆することなく、臨とした姿勢で。
タックルをかました体勢から、ゆっくりとファイティングポーズへ戻す。
瞳には、決意の目。
ジッ、と。
睨みつけるような眼光で七実の姿を捕らえ、睨む。


七実は、じっくりとその姿を見る。診る。
ようやく現したその姿を、じっくりと。しっくりと。

そして。
呟いた。


「そこから一歩でも動いたら、今度は容赦なくそこの少女は殺させていただきますので注意なさってくださいね。その逆も然り、で宜しくお願いします」


冷たい。
絶対零度の声。
声に温度こそないが、それでもそう思わせる声の質。


そんな声で言われたのは、処刑宣言であった。


対しての日之影空洞と言えば。
勇敢な態度を変えることもなく、張りのある声で答える。



「――――ハッ、言ってろよ過負荷(マイナス)。てめぇなんか動かなくたって守れるんだよ、勝てるんだよっ!!」


温かい。
燃え猛る炎の如く熱い声。
声に温度こそないが、それでもそう思わせる声の質


次いで、日之影の枷。ないしは『囮』となった八九寺真宵はと言えば。
パクパクと、口を開閉を繰り返すだけで、何もできない。
砕けた腰が修復できず。
何時までも、どれだけ経とうが立ちあがるに至らなく。


「…………あ、え………。ど、どうし………て」


八九寺は、今この時。
過酷なる現実を受け入れられた時。
ようやくにして、我に帰る。

記憶が巡る。
思念が迸る。

「………………どうして…………わたしは……………」

同時に沁みる、自身の行動の浅深さ。

ツナギに今となっては思いもしてなかった「嫌い」という言葉を浴びせたこと。
我武者羅に走ったこと。
無意識に入っていた鑢七実の姿のこと。

どれもこれも、言い訳のできないぐらい恥じる行動。
本来やってはいけないサバイバルの禁則(タブー)。


自責に苛む彼女の前には、今この時を以て、戦闘と偽る暴虐劇が始まったのである。



 @


その時の球磨川と言えば、そんな三人で繰り広げられる光景をのほほんと眺めているわけではなかった。
彼は今、歩いている。

何処へ?
学習塾跡の廃墟へ。

何時?
八九寺真宵が叫んだ辺り。

何故?
鑢七花がいるかどうかと――――日之影空洞があそこを意地でも守っていた理由のわけを探すため。

以上を以て、既に彼は探索を始めていた。
まるで、七実のことは心配した様子はなく。
信頼の証なのか。
どうでもよさの証明なのか。

今の、『嘘』を吐いている彼の心を知るのは容易くない。
だから本心で何を考えているのか。
それを分かるのは本人のみである。
――いや、もしかしたら本人も分かっていないのかもしれないが。

そんなこんなで、適当に一階から探索を始めていた。
まず目に入ったのは、そのどうしようもないほどの古臭さであろう。
所々に見るに堪えないヒビ、亀裂。
――こんなところでも生物と言う生物は存在しているらしい。
やはり塾の廃墟と言うだけあり、取り残された机の幾つかには蜘蛛の巣が張られていた。
さらには親切設計で部屋の四隅には埃まで完備していたのである。
普通の感性を持つ人ならば、まずは一歩引いてしまうであろうボロさ。
しかし球磨川はそんな古臭さなど目にもくれない。
さも、それが日常的な光景と言わんばかりに。

一階には何もなかったと、碌に調べてもいないが思った球磨川は、二階へと上がる。
二階に上がると、目に入るは机の山。
一瞬錯覚現象かと思えるぐらい、綺麗な机の『山』がそこに存在していた。

『げ、げげー! これはミステリーサークルじゃないか―。……まぁ何でもいいんだけどさ』

ボケてみて物哀しかったので、訂正して適当な探索を終わり、三階へと上がろうとする。
……というよりはっきり言って面倒になってきたので人がいないかどうかを主点に変えて探索している。
足取りを疲れない程度に速めながら、三階へ到着した。


一つの部屋のドアに手を掛ける。
ギィ。
そんな音を出した時、球磨川は気付いた。


この奥に、誰かいる。――――と。


だが躊躇をしても仕方が無い。
そう思いドアを勢いよく開けると、一人の、ブカブカな箱庭学園の制服を身につける男の姿が見えた。

「………………」
『………………』


目があった。


次の瞬間、球磨川は駆けていた。




○連想/×××××・クマガワミソギ○


「…………まぁ、なんか疲れた」

ぼくの声は彼方へ消える。
ぼくは唐突に目が覚めて、開口一番そんな一言を呟いた。
夢が覚めるのに唐突と言う言い方も何だと思うが、上手く言葉が見当たらない。
まだ寝起きで頭の方はまだ目が覚めていないのかもしれなかった。

夢。
やけに鮮明と覚えている。
姫ちゃんとの楽しげな会話。
そこから思い起こされた真宵ちゃんのこと。

最後に突拍子の無い――安心院なじむさんとの邂逅。

……どうせ時間が経てば忘れるのだろうけど、ぼくはそんな夢を見ていた。
恐らく基本支給品の一つだったであろう腕時計を見る。
時間は、六時十分弱。
――ギリギリアウトでぼくは放送に間に合わなかったらしい。
既に辺りは無音。
閑古鳥ではないし、なにやら慌ただしい音(具体的に言うと階段を下りるような音)が聞こえた気がするけど、その音は遠のいていく。
……きっと幻聴だったんだろう。ここに来てから色々あったしな。
疲れていても仕方のないことかもしれないね。
戯言だった。

寝そべったまま、ぼくは周りを見渡す。
今になったようやく気付いたがぼくは寝てから少しばかり場所が移動しているようだ。
少なからず寝る前のぼくはこんな物陰に隠れるように寝ていない。
……翼ちゃんが隠してくれたんかなぁ、そんなことも思ったが違ったようで。

ぼくの上には見慣れない白を基調とした制服が被せられていたから。

まあ例えそんなものがあろうとも、翼ちゃんがやってないって言い張ることでもないけど、大方後から来た違う人だろうね。
出来ればぼくの身体の下引いてもらった方が身体が冷えないし助かってけれど。我儘はいけない。
んー? じゃあさっきの足音ってもしかしてこれを掛けてくれた人のものだったりするか?
とんだ入れ違いだ。
……うーん、気になるっちゃあ気になるし、追えば直ぐに追いつきそうなものだから追ってもいいけど。
まずはぼく自身の身仕度を整えてからじゃないと、どうしようもない。
そして先立っては、

「この服を頂くとでもするか」

いい加減身体が冷えてきて寒い。
なので遠慮する間もなく、ぼくは被さってあった制服を身に付けた。
シャツも何も着ないで制服を着るっていうのは些か抵抗はあるものの仕方ないと考えるしかない。
同時に、この制服がどんだけでかかろうと、再発注は出来ないのだから余計なことは考えないでおこう。
そう、これは元々ぼくの制服でぼくの為に作られて制服なんだから、何の違和感も存在しないよ。
最高の着心地だ。万歳万歳、僥倖僥倖、剣呑剣呑。――戯言他ならなかった。
ちなみにその際だが、一つ感じることがあった。

「温かいな……」

服を着ると、温かかった。まるで今の今まで着ていたかのように。
袖の先まで、余すところなく温かかった。
つまり意味するところで言うのであれば、この服は、先ほどの幻聴かと思った足音の正体の主の制服かも――いや、凡そそうなんだろう。
………けど、後を追うのはまだ止めておこう。
ぼくは放送と言う大型のイベントを聞き逃している。
死亡者の数も、禁止エリアとやらの場所も――――知らない。
致命的だ。
参加者としては、大いに重大な知識の欠如だ。
ならば下手にここを動くよりかは、きっと制服やらを取りに帰ってくるであろうその人や、
もっと可能性の高いところで言うと、そろそろ真宵ちゃん、ツナギちゃんが来るかもしれないからね。
ここでその人たちを大人しく待ってるのも一つの手だと思う。

「…………戯言、なのかなあ」

まあともかくとして。
それならばせめてこの廃墟内にいたほうが、真宵ちゃん、ツナギちゃんも楽になると思うけど。
……まさか二人死んでねえだろうな。
決意早々、守る相手が既に死んでいたらぼくはもはや自殺したいぞ。
多分ツナギちゃんもいるだろうし、よっぽどのことがなけりゃあ大丈夫だと思うけど……。

「よっぽど……ねえ」

そんなこといいだしたら、こんな事態が起こっていること自体「よっぽど」な事実だと思うけど。
この際置いておこう。
でないと、なにかがどうにかなりそうだ。

閑話休題。
頭を悩ませるぼくに新たな試練が待っていた。

「………腹減ったなぁ」

自分の呟きにうんうん、と頷きを付けくわえながら、ぼくは思ったことを呟いてみる。
恐らくは眠ってしまったからだと思うけれど、異様に今のぼくは腹が減っていた。
それこそ、あのいろんな意味でトラウマ料理、《ぞんち》のキムチ丼大盛りのご飯抜きでも平気で平らげてしまいそうなぐらいには。

別にぼくとしては支給品として入っていた食料一式でも構わない訳だが、
やはり後のことを考えては、取っては置きたいものに違いないし。

それにだが、先ほどどっかの机の中にミスドのドーナッツが入っていたと思う。
さっきは気味が悪かったから反応しなかったけれど、こうなってくると話は別なのかもしれない。

ぼくは立ちあがる。
三階だったか、二階だったか忘れてしまったけど、まぁ探せばあるだろう。


………。


――――さて、ぼくは、守るんだ。

真宵ちゃんを。
玖渚のやつも。

みんな。
ぼくはもう、悲しみたくはない。

だから、ぼくは歩くんだ。

ディパックを拾う。
そしてそれを背負って、ぼくは進み始めた。



 @


結果として数歩進んで、歩みをとめた。
理由があるとはいえ、格好がつかない。
……まあ格好がつかなくとも、この際は歩みは止めるほかないわけだけれど。

「って、あれ? ディパックがなんか重たい様な」

というわけで理由だけど。
ディパックの重さが、変わっている気がした。
それも重たくなった的な意味を込めて。

気にもなったので、ぼくはしょうがなしにディパックを肩からおろし、ディパックの口を開いて漁って見る。
感想としては。

「……うわあ」

カオスな空間がそこには存在していた。
赤が混じっているような。
青が混じっているような。
黄が混じっているような。
緑が混じっているような。
橙が混じっているような。
紫が混じっているような。
劣化したドラえもんの四次元ポケットみたいな。
一体全体この鞄はどうなっている。
御蔭さまで中身がぱっと見てとれない。
どんな防犯対策だよ。

ただ、今初めて使った訳でもないので、手を突っ込むのには躊躇はいらない。
ぼくは躊躇いもさほどなく手を突っ込んでみる。
安心と信頼のディパックである。

「んー、お、これは………」

まず、飛び出してきたのは、紙だ。
一枚の紙。ちなみに先のお札ではない。
一瞬白紙かと思ったけれど、どうやらそれは裏面みたいで表面には、でかでかと文字が浮かんでいた。


と。


 @


ぼくは参加者名簿を歩みを再開しながら、見渡してみた。重さの内容については後で確認を取るとしよう。
余談だが、その際階段等があっても、漫画みたいにスカトロゴッシャーンみたいな展開にはならなかったけど(ちなみに今は三階のとある部屋にて探索中)。

さて、肝心の名簿なのだが、どうやらあいうえお順と言う奴らしい。
まず、一番上に堂々と記されているは――――我らがヒーロー哀川潤の名前であった。

「………ま、ある意味では予想どおりかな」

確かこの計画の趣旨が《完全なる人間の創造》だ。
安心院さん風に言うのであれば、《主人公の育成》。
どちらであれ、哀川さんをここで活用しない手はないだろう。
相応しすぎる。
ただ、どうやって連れてきた――となると疑問は少々残る訳だが。
まさか眠っている間に隙を取られた、なんて哀川さんらしくもないへまをやらかすわけもないし。
……うーん、不思議だ。
まあ、今はまだ考えても仕方のないことか。
次に行こう。
目線を下にずらすと阿久根高貴と言う名。

「知らない……んー? この机にもないなぁ」

この机の中にもなかったし、その名前も聞き覚えが無かったので、次に進んで、
その下。阿良々木火憐。
その下。阿良々木暦
――――あった。予想通り。案の定。
ファーストキッスを奪われたという妹さん(?)の方までご丁寧に。
ならば、ぼくたちは止まってはいられないだろう。――――この机にもない。
早く、合流しなきゃね。
早く。一刻も早く。真宵ちゃんの為に。玖渚の為に。


そんなときである。



ギィ。



と。
ドアノブの軋む音がした。

同時に息を潜める。
今更かもしれないが、やって置いて損はない。
一旦名簿をポケットに仕舞う。

「………心底戯言なんだよ」

諦めの自嘲を含みながらぼくは呟く。ただし、声は控えめ。ぼくでも聞こえるか聞こえないかぐらいの。
ぼくは机の中を探るために降ろしていた腰を上げる。
戦闘態勢、なんて高尚なものではないが、降ろしているよりはいいだろう。

はぁ。

あわよくば、これがツナギちゃん、もしくは真宵ちゃんであれば嬉しかったところなんだけど。
どうやら違ったみたいだ。

勢いをもって、そのドアを開かれる。もしかしたら壊れたんじゃないかってぐらいの勢いで。
当然だが、そこにあったのは人影。


――――なのだろうか。


ぼくは戸惑った。
相手も戸惑ったのだとろう
平凡な、ただそれだけでしかない戸惑い。

そこにはキャンバスがあった。
かつて、絶望の果てにて天才の画家が描いた絵に出遭ったような感覚。
カメラで写すほど明瞭でなく、僅かが差異が確かに存在するのに、気付けない。
そして、なにより《過去の自分》を写しているような。

そんな風に思った。

身長はぼくと同じぐらい。
学生服。正確には学ラン。ぼくの着ている制服とは違い、真っ黒。
落ち着いている漆黒に相応しい黒さを放つ髪は、後方で二本だけはねている。

似ていると言えば、似ているぼく達。

代替可能理論。
そうはいったものの――――これはまるで――――。


先に動いたのは相手だった。
突如現れた大きな螺子をもって、迫っていて、螺子でぼくを突き刺そうとしていた。
それはまるで無駄のない動作で、最弱と謳われる彼(ぼく)だからこそできる、と言ってもいい。
音がひずみ、光がゆがむ。
仮にこれが漫画であれば一ページ全部使う代わり、一コマで語れそうな
芸術的ではないけれど、速く、迫力があり、それに値する名シーンの様、と言われるぐらい彼の行動は完璧だった。
避ける方法など皆無。
受ける方法など絶無。
しかしぼくはこれを斜め右後ろに上半身をずらすことによって、その螺子をかわした。
勿論本来ならそんなことは不可能だ。
ぼくの運動神経は並み以下とは言わないが、決してそれ以上ではない。
人類最強の腕刀の躍動を見切れるような動体視力も速筋力も、ぼくは所有していない。

だが。

たとえ時速二百キロでダンプカーが突っ込んだところで、それを五キロ先から知覚していたとならば、
誰にとっても避けることは簡単だろう。

相手の突きは、ぼくにとって五年前から予想が付いていたかのように明瞭だった。

ぼくは自分のディパックを乱暴に肩から降ろしながら、遠心力を利用して相手の顔面にぶつけようとする。
しかしそんなぼくの行動は十年も前から知っていたかの如く、首の動きだけで無効とする。
無理な態勢で相手の攻撃を避けるために、ぼくはそのまま後ろ向きに倒れてしまった。
ただし当然だが、受け身を取る様な愚は犯さない。
そんなことに片腕でも浪費すれば、すかさず相手の螺子が煌くだろう。
案の定、相手は外した一撃目の螺子が、ぼくの心臓を狙ってきた。
まずい。この姿勢で避けることができない。
いや、無理に身体を転がせば《この一撃》に限っては回避することは可能だ。
ただしその次が、次の次の瞬間、どう惨めに足掻いたところで三刹那先の一秒間に脊髄の中心に螺子が穿たれる。
それはまるで忌むべき未来予知の様に、はっきりとイメージできる映像だった。

ならば避けようが避けまいが意味がない。
だったら単純に受けるまでだ。ぼくは右ひじを張って、螺子の先端にへと向けた。

と。

相手はひじを引く様な形をとり、螺子の軌道にタイムラグを生じさせた。
必然、ぼくのエルボーは勢いあまって空振りする形となる。
そうなると、そう――身体の正面を開いた状態。
心臓も肝臓も含め、全ての内臓を相手に晒した姿勢となる。

嘘に塗れた光こもる瞳がかすかに笑う。
そこから、手首を返して、螺子の先端がぼくの心臓を狙う。
一瞬だけ停止して。

そして二倍速で振り下ろされる考えられないほど大きな螺子。
ぼくの晒しつくした様な弱点を的確に狙ったかのように、ぼくの感覚器官の不意を突く形で訪れる最弱意思。

息を呑む暇すらない。
そう、本来ならばきっと、息を呑む暇すらなかっただろう。
ただし、この状況だって、ぼくは生まれる前から知っていた―――なにせ自分のことのようなのだから―――――。

「――――!」
『――――!』

螺子の先端は服一枚を貫いたところでぴたりと止まった。
ぼくの左人差し指と左中指も、だから、彼の瞳を、まつ毛が瞬きするたび触れるぐらいの距離で停止した。

膠着状態。
向こうは心臓でこちらは両眼。
それは天秤にかければ重さの違いは明らかだが、ハナから向こうは天秤にかけるような問題ではない。
肉を破って骨を抜き、心臓を粉砕することなど、相手にとっては赤子の手を捻る潰すよりも簡単だ。
ただしそのわずかなタイムラグは、その瞳を破壊するに十分。

逆もまたそう。
こちらは心臓を犠牲に眼球を瞬壊でき、
あちらは眼球を生贄に心臓を滅殺可能。
だからこその膠着状態。

そのままの姿勢が五時間ほど、あるいは五刹那ほど続いて、

『―――――傑作だねぇ』

と。
相手は螺子を消した。

「―――――戯言だろ」

と。
ぼくは指を引いた。

相手はぼくの上から退く。
ぼくは身体を起こして立ちあがる。

ぱんぱん、とぼくは服に付いた砂利を払い、それからゆっくり背伸びをした。

まるっきり予定調和の茶番劇だった。
こういう結果になることは分かり切っていたことで、
だからまるで夏休みの宿題を終わらせたときのような脱力感のみが、今のぼくの身体を支配していた。

『――――僕は球磨川っていうんだ』

乱れた衣服を整えながら、相手――――彼は言った。

球磨川禊。で、君は誰なんだい? 《―――――》』

それは。
さながら。
自分の名前を他人に確認するような、
違和感のある問いかけだった。

これが。
これこそが戯言遣いと大嘘憑きの第一接点(ファーストコンタクト)。


奇しくもそれは、底辺に位置するぼく達にお似合いのボロボロな廃墟での出会いであった。




○情想/ヒノカゲクウドウ・ヤスリナナミ・ハチクジマヨイ○


戦いとは、大抵の場合互いの実力が均衡いているときに言うものであり、
それ以外の場合は、大概違う日本語が用意されている。

今回の場合、用意されていた日本語は、生憎にも「戦い」ではなかった。


今回、日之影空洞に用意されていた日本語は――、


「虐殺」


で、あった。

今の日之影空洞は。
全身が既に血塗れである。
左腕を、だらしなくおろし――――おろさざるを得なく。
それでも懸命に右腕とあまり慣れない足技を酷使して、七実に勝とうとする。
全ては、後ろにいる少女の為。
据えては、悪者をブッ倒すため。

抵抗しようにも、日之影の体格が大きすぎて、七実の体格が小さすぎるが故に焦点が定まらない、
加え仮に当たると思った瞬間でさえ、忍法・足軽の効果の所為でパンチは避けられてしまう。
それでいて、七実は蜜蜂により見取った刀の使い方を駆使して、双刀で、撲殺を試みる。
何時かの話。
七実は刀を使ったが故に、負けてしまった。
しかし今は使っている。
トラウマとして覚えていない訳でもないし、どちらかと言えば使いたくないという念が押し寄せるが、
万が一の時を考えて、彼女は出来る限り、接近を試みたくはなかった。

理由として、思い出してほしいのは四月、七実が蝶々を撃破した時のことを考えてほしい。
あの時、七実は忍法・足軽という忍法へ施した対処法は、襟元を掴んで離さなかったことだ。
そうすることで、いくら風圧がこようとも、吹き飛ぶ心配はない。
七実としてはそんな雑魚―――雑草と同じ理由で負けるなどという恥さらしは晒したくはないし、
どうせ持っているのだから一回ぐらいは使っておこう、というどちらにせよ日之影自体には眼中も向いていない理由であった。

「…………」

七実は、冷然と。
無言のままに殺戮を行使している。

一に殴打。見事に脇腹に双刀が炸裂する、きっと肋骨の幾つかは折れたであろう。
二に強打。もう一度、左肩。神経がもはや正常に作用してなく、新しく呻き声を上げることもない。
三も乱打。次いで右肩。「――――がぁ?!」という呻き声と共に骨の折れる、無駄に軽快な音が響きわたる。
四も猛打。心臓を打つ。もしくは斬る。ゴキッという歪な音が、背後にいる少女にも聞こえる。血を吐いた。
五には――――死体も同然の英雄の姿の完成である。

「…………がはっ……」

喋ることもままならない。
もはや、嗅覚も、視覚も、触覚も、味覚も動いていない。
死の足跡が近づいていた。
否。
本来であれば、もう既に死んでいてもおかしくはない。

それでも彼は立っている。

それでも彼は守っている。

それでも彼は戦っている。


地に足を付け、こんな姿でも堂々と、果敢と、勇壮と。


英雄は、死んでいない。――――身も、心も。


「――――もうやめてくださいっっ!」


涙声で、日之影の背後から、少女の声が聞こえる。
八九寺真宵、蝸牛の少女。

「や、止めて……くださいよ! 貴方も! 貴女もっ!」

日之影空洞に向けて。
鑢七実に向かって。

目の前に繰り広げられる惨劇に、対し、彼女はそもそもの異論を言いだした。

無粋で、野暮で、艶消しながら。その声は、日之影にとって救いであった。
――――日之影は、彼女がまだ生きているという事実を噛みしめて、戦意を上げる。
上げたところで、既に意味はないけれど。
下げたところで、既に意味はないけれど。


確かに、今ここに英雄がいた。という現実が嬉しかった。


気が付けば、七実の猛攻は既に止んでいる。
もう、必要が無いと感じたのであろう。
静かに、廃墟の方を眺めている。

視界を失った日之影にとって、そんなことわからない。
闘志を保ち続けていた。
そして無意識のうちに、彼は語る。

「……ぉ、俺、……みた、いな。強、い…奴って……のはな」

英雄は最期に、語る。

「も、もう喋らないでください! ――私のこと良いですからっ! 早く治療……を」
「仲間………を、守れる。………ってい、うの。が――――――醍醐味………でな」

必死に訴える八九寺を他所に、日之影は語る。
もう自身でも、手遅れだと察したのかもしれない。
だけれども、だけれども―――――!



「俺の……な、まえは………日、之……影……く、う洞だ。」



英雄は。





「忘……れないで………く。れる、と…………嬉、しい」





生きた証を、残した。




 @


かの武蔵坊弁慶は、直立不動のまま死んだという。
無数の矢に貫かれ、それでもなお、薙刀を杖として立ち続けたという。

医学的にはあり得ない。という議題が持ち出されているが、
それは今ここによってあり得る話として確証されることとなる。

この英雄。


日之影空洞もまた。




直立不動のまま――――――死んで逝った。






【日之影空洞@めだかボックス:死亡】




 @


「ひ、日之影さん? う、嘘ですよ、ね? やめてくださいよ………冗談は……」

一人取り残された八九寺真宵は戸惑った。
突如として、喋らなくなった日之影空洞。
かといって何をするわけでもない。

ただ、ただ。
虚空を映す瞳を、悪党七実に向けていた。
それだけである。
今まで繰り返していた過呼吸も、何も。


――――していない。


「い、いや。」

八九寺の頭に思い浮かんだ可能性は一つ。
だけど、確かめたくない。
けれども、信じたくもない。
だけれども、思いたくもない。


ただ、子供のもつ幻想すらも。


――――七実はぶっ壊す。



「あら。ようやく死んでいきましたか――――空洞さんは」



高ぶる感情のまま、八九寺は叫ぶ。



「いやぁぁぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああっっ!!」



木霊する、感情。






タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2013年05月04日 23:21