禍賊の絆 (前編) ◆wUZst.K6uE


【夜中】
水倉りすか』 D-6 ネットカフェ


「教えてほしいのが、『零崎』の人たちについてなの」

キズタカが一階に降りてしばらくした後、わたしは玖渚さんにそう聞いた。

「うに? 『零崎』について? 参加者についてはさっき一通り説明したと思ったけど」
「パーソナリティについては何となくわかったけど……もう少し詳しく知りたいのが、『零崎』っていう集団そのものについてなの。
 どういう集まりで、どういう関係を持ってるのか、いまいちピンと来なかったから」
「あーなるほど。うん、『零崎』ってのはね、りすかちゃん。簡単に言うと殺人鬼の集まりなんだよ」
「殺人鬼……」
「D.L.L.Rシンドロームって知らないかな? 日本語で言うなら殺傷症候群。『誰彼構わず、とにかく殺してしまいたくなる』っていう、神経症の一種にしてハイエンド。
 表向きには日本での症例はないことになってるけど、そんな症状が、ごく当たり前の日常である集団が存在する。それが零崎一賊」
「病気――ってことなの?」
「そこがわからないのが難しいところでね。零崎が全員D.L.L.Rシンドロームの患者なのか、それともその二つは全くの別物なのか、未だにわかってない。
 多分『零崎』自身にもわかってないと思うよ。僕様ちゃんも『殺し名』についてはあんまり深入りしたくないから、それ以上のことはわからないけどさ」

玖渚さんの説明を聞きながら、頭の中に浮かんでくる三人の名前を思い出す。
零崎曲識零崎双識零崎人識
わたしが直接この目で見た、三人の『零崎』。

「そういう症状――性質を持った者たちが徒党を組んでできたのが『零崎』っていうひとつの集団。
 同じ姓を名乗って、疑似的な家族を形成する。殺人衝動という共通項で互いに繋がりを持つ」
「……家族」
「血よりも濃い絆っていうのかな。だから『殺し名』の中でもとりわけ『零崎』は忌み嫌われてる。仲間意識が強すぎるからね。だーれも手を出したがらない。
 まあ中には別の名前を持ってまで家族以外に繋がりを求めちゃう『零崎』もいるんだけど――
 ああ、そういえば零崎のうちひとりを殺したのってりすかちゃんなんだっけ」

災難だったねぇ、と他人事のように言う玖渚さん。
家族――血の繋がりのない、疑似的な家族。
それは互いに『必要』とされているということなんだろうか――と思う。
異質ではあっても孤独ではないことを理解するため、同じ異質な者同士が、互いに互いを必要とし合う。
家族として、異質を共有し合う。
あの少年もそうなんだろうか――わたしを拉致した、頬に大きな刺青のあるあの少年。
その深い深い闇のような目を思い出して、わたしはまた、ぶるりと身震いした。

「ところでさ、りすかちゃん」

おもむろに、玖渚さんがデイパックから紙箱を抱えるようにして取り出した。
それを開けて、中身のドーナツをわたしに見せてくる。

「休憩しない? 喉渇いちゃったし、一緒にドリンクバー行こ」
「…………」

ひときわ大きな金属音が、階下から響いてきた。



   ◇     ◇



供犠創貴』 D-6 ネットカフェ


抜き身の日本刀を間近にしながら僕は、その刀身よりもそれを持つ男のほうに目を奪われていた。
零崎人識。
その目を見てなるほどと思う、これが「人殺しの目」か、と。
クラッシュクラシックで会ったときより、こうして真正面から向き合ってみるとよくわかる。自分に向けられた、その殺意の純粋さを。
宗像のように使命感にあふれているわけでもなく、蝙蝠のように愉悦に酔いしれているわけでもない。ただ「殺す」という、それだけの意思。
蝙蝠が殺したあの釘バットの男――零崎軋識に殺意を向けられたときよりも一層、それは僕の皮膚を粟立たせる。
りすかが大人しく拉致されていたわけだ……こんなもの、りすか一人じゃ対処しきれないのも無理はない。

「二度も逃げられると思うなうよ」

殺意の元が口を開く。

「お前らの『手品』は一度見せてもらったからな――同じ手にまた騙されてやるほど、俺は優しくねえぜ。そっちの女が手品のタネか?
 だったら見逃がさねえよう、じっと見ておかねえとなあ」

刺すような視線を受けて、りすかが「ひっ」と身をすくませる。

「あの動画のおかげで、曲識のにーちゃんを殺したのが誰なのかもはっきりした。これでもう保留の必要はねえ。そこんとこも感謝しとくぜ、『死線の蒼』さん」

どーいたしまして、と心底どうでもよさげに答える玖渚。
やはりあの動画は見られていたか……こいつが玖渚と繋がっていた以上、当然といえば当然なのだが。

「…………」

平静を装ってはいるものの、僕も内心穏やかではいられなかった。この状況、クラッシュクラシックの時よりも圧倒的に追い込まれている。
あのときはあらかじめ逃げる算段をつけておけたが、今回は事態が突発的すぎる。逃げる準備も、迎え討つ用意もできていない。
さらにこの場所が、狭い個室という袋小路にも似た空間であることがなによりまずい。
りすかの『省略』は言うまでもなく、新しく使えるようになったという『過去への跳躍』も、ここまで警戒された状態で発動させるのは難しいだろう。
魔法というのは、使用者の精神状態がその発動に大きく作用する。
特に『別の場所へ移動するイメージ』を必要とするりすかの魔法は、物理的に追い詰められた状態では実質使用不可能なのだ。
一度見せた手札は通用しない。OK、それならそれでいい。
ここからは一か八か、出たとこ勝負の博打といこう。

「……蝙蝠はどうした?」

少しでも時間を稼ごうと、人識に問いかける。訊かなくとも、絶刀をこいつが持っていることから返答は予想できているが……
しかし返ってきたのは、予想していたのとは少し違う反応だった。蝙蝠の名前を出した途端、人識の眉がぴくりと動くのが見えた。
突かれたくないところを突かれたとでもいうように。

「さぁな」

……さぁな?

「優雅に質問してんじゃねえよ、お坊ちゃん。お前が知りたいことを、俺が親切に教えてやるとでも思ったか?」
「…………」

うん?
この反応、ひょっとしてこいつ、蝙蝠を殺してきたわけじゃないのか?
絶刀を持っていることとメールの内容から考えて、こいつと蝙蝠がエンカウントしたことは確実だと思っていたのだけれど。
こいつが蝙蝠を見逃したとは考えにくい。
顔を合わせたのなら、即殺し合いになることは必至のはずだ。
……まさか蝙蝠のやつ、逃げたのか? 人識が逃がしたのでなく、蝙蝠のほうが戦闘を回避した?
ありえる話だ。
人識は蝙蝠を目の敵にしていたが、蝙蝠にとっては人識は危険人物のひとりでしかない。僕もりすかも一時的に手を組んでいただけの間柄で、あいつからしたら守る義理もない。
自分の命が危うくなれば、早々に逃げを選択するのは目に見えている。
というか、蝙蝠とはもとからそういう取り決めのもと、協力関係を結んでいたはずだ。危なくなったら、逃げる。どちらが先に逃げても、禍根は残さない。
その言葉に、少なくとも僕のほうには偽りはない。あいつが逃げようと裏切ろうと、今となってはそんなことは些事だ。
むしろ、これはある意味好都合かもしれない。

「なんだ、もしかして逃げられたのか?」

鎌をかけるついでに挑発してみる。案の定、人識の眉がさらに吊りあがり、表情がぴきぴきと音を立てる。
案外扱いやすいかもしれないぞ、こいつ。

「本命に逃げられた腹いせに、子供に八つ当たりに来たか?
 ははっ! お笑い種だな。『二度も逃げられると思うなよ』とか大見得切ったわりに、すでに一人逃げられてるなんてな」
「……いい度胸だ」

にいぃ、と人識の口元が大きく歪んだ。
首筋に突きつけられている刀に力がこもる。皮膚一枚を通して伝わる、刃が肉に押し付けられる感触。

「度胸のあるガキは、嫌いじゃないぜ」
「そりゃどうも、素直に褒め言葉として受け取らせてもらう」

意図的に冷めた口調で言ってやる。もう僕にはこいつが脅威には見えていなかった。
最初に思った通り、こいつごときただの『障害』だ。ならば普段通り、僕とりすかで乗り越えてやるだけの話だ。

「正直失望したよ、零崎人識。もしお前が使えそうなやつだったら、僕の『駒』として使ってやらなくもなかったのに、蝙蝠一匹捕まえられないなんてとんだ期待外れだ。
 『零崎』ってのは、家族同士でつるんでないと何もできない連中なのか? だったらもう『駒』どころか、敵として認識するにも値しないな」

侮蔑的に、挑発的に、笑いながら僕は言う。



「零崎双識だっけ? あいつも死んだんだったな、たしか」



次の瞬間に何が起きたのか、正確に知覚することはできなかった。
ただ、いきなり顔面に強烈な衝撃を受け、後ろへ吹っ飛ばされたということはかろうじてわかった。人識の蹴りが炸裂したのだと、遅れて理解する。

「が……はっ!!」

僕とさほど変わりない体格にもかかわらず、その蹴りは僕の身体を完全に宙に浮かせる。
背後にあったパソコンやディスプレイを薙ぎ倒しながら、それらが置かれていた台の上へと受け身も取れずに落下した。

「キズタカっ!」
「ああっ、僕様ちゃんのパソコンが!」

お前のじゃないだろ、と突っ込む余裕もない。
鼻からはだくだくと血が流れているし、歯も何本か折れている。全身をしたたかに打ちつけていて、声を発するのもきつい。
りすかが一瞬、僕へと駆け寄る気配を見せたが、人識はすかさず僕に突き付けていたほうの刀をりすかの首筋に移動させ、右と左から刀で挟み込むようにする。

「う…………」

それでまた、りすかは動きを封じられてしまう。
やれやれ、新しい魔法を取得して、精神的にも少しは成長してくれたかと思っていたが……こういう時に敢然と構える胆力を、りすかには持ってほしいものだ。

「ちょっとばかしお喋りが過ぎるなぁ、キズタカくんよ。弁が立つのは、口から生まれた『あいつ』だけで十分だっつーの――
 俺は優しくねえって、最初に言っておいたはずだよなあ?」

顔は笑っているが、声に怒りが混じっているのがわかる。
所詮こんなものか、と僕は鼻で笑う。怒りなんて無駄なものにエネルギーを消費するだけでも愚かしいのに、それが子供の挑発に乗ってとなれば、まさしく愚の骨頂だ。
そんなことだから、刀を突き付け、あとは殺すだけというところまで追いつめておきながら、蹴りを入れるなんて余計な暴力を間に挟む愚行を犯すはめになる。
優しくない? そうだろうな。だけどそれをいうなら――

「この僕だって、大人しく殺されてやるほど、優しくない」

そう呟いて僕は、ポケットから診療所で拾っておいたピンセットを取り出す。
そしてそれを、備え付けのコンセント差し込み口に躊躇なくぶっ込んだ。



 バ ァ ン――――ッ!!



火薬玉が破裂したような派手な音とともに、ピンセットと差し込み口から火花がほとばしる。
閃光が室内を照らしたのもつかの間、次に僕らを覆ったのは暗闇だった。店内の電気が一斉に消えて、あたり一面が真っ暗になる。
説明不要、ショートの際の過電流によるブレーカーの作動だ。

「な……っ!?」

暗闇の中、人識が声を上げる。驚くほどのことじゃない。こんなもの、子供の悪戯程度のことだ。こんな手に頼らざるを得ない自分が恥ずかしくなるくらい稚拙な策だ。
左手に焼けつくような痛みを感じる。ショートの際に散った火花で火傷したらしい。まあこのくらいは必要な代償だ。指が吹き飛ばなかっただけよしとしよう。
闇に乗じて、僕はまずグロックを取り出す。この停電が続くのはおそらく数秒くらいだ。この後すぐに停電用の非常灯がともることくらいは予想している。
部屋の外に逃げ出すのは不可能だ。意表を突いたとはいっても、人識は依然として入口の前にいるはず。下手に接近して気配を察知されてはかなわない。
グロックで狙い撃つのも難しい。
銃の扱いなんて素人同然の僕がこの暗闇の中で正確に撃てるとも思えないし、それ以前に僕と人識の射線上にはりすかがいる。
りすかが邪魔になって、人識には一発も命中しない公算が高い。
だから僕がやったのは、りすかに手を伸ばすことだった。停電前に位置を把握しておいたため、見えなくともその長い後ろ髪をつかむことに成功する。
そしてそのまま、つかんだ髪を思い切りこちらへ引っ張った。

「痛っ!?」

悲鳴みたいな声を上げるりすか。それに構わず自分の身体で抱きとめるように引き寄せ、すかさずその首に腕を回してホールドする。
「しばらくじっとしてろ」。耳元でそうささやいて、グロックの銃口をりすかのこめかみに押し付けた。
直後、予想通りに非常灯がぼうっと点灯し、店内に薄明るさが戻ってくる。
あっけにとられた表情の人識に対し、僕は宣言する。

「動いたら撃つ」

りすかを「人質」にとった形の僕に対し、「……チッ」と忌々しげに舌打ちする人識。

「どうせ僕らの『切り札』については把握しているんだろう。りすかに対して、いつまでも刀を振るわなかったのがいい証拠だ」

あの動画が配信されてしまっている以上、りすかの『変身』はもはや周知の事実と思っておいたほうがいい。動画を見たというこいつの場合は言うまでもない。
そもそも人識がりすかの『変身』を知らなかったとしたら、僕たちはすでに殺されていてもおかしくはない。りすかを警戒していたからこそ、逆に刀を振るえなかったのだろう。
たとえ僕だけを殺そうとしたとしても、万が一りすかがそれを庇おうとして巻き添えにでもなれば、人識にとってアウトなのだ。
りすかを殺そうと思うなら、そのやり方には細心の注意を払わなければならない。
そしておそらく、こいつはまだ『殺し方』を決めあぐねている。
ただ、仮にそれを知っているやつがいるとしたら――

「気をつけたほうがいいよー、しーちゃん」

……やはりというべきか、完全に『観客』と化していたやつがしゃしゃりでてくる。

「その娘は『魔法使い』だからね。その身体に流れている血液が魔力の源。血を流させるような殺し方はまずいよ」

今度はこっちが舌打ちする番だった。
玖渚友――こいつは一体、どこからこんな情報を集めているんだ?
りすかの称号『赤き時の魔女』はまだしも、僕が「『魔法使い』使い」を自称していることさえ知っていたときから危機感はあったが……
敵に回すことで、ここまで厄介な相手だとは――

「その通り」

ならばと逆に開き直ってみせる。ここで弱みを見せたら負けだ。

「りすかは流血を伴う死に方をすることで『変身』する。刀で斬られても、拳銃で頭を撃ち抜かれても、だ。なんなら試してみるか?」

これ見よがしにトリガーに指をかけてみせる。虚勢であるとバレていたとしても、今はこうするしかない。

「変身後のりすかを甘く見ないほうがいいぜ。その性格は好戦的、そのスペックは空前絶後だ。ただの人間が太刀打ちできるようなものじゃない。
 なにしろこの僕が、唯一持て余している『駒』だからな」
「…………」

無言で答える人識。発される殺気は相変わらずだが、それ以上能動的に働きかける気配もない。
とりあえず、ここまでは上首尾だ。
しかし決してイーブンに持ち込めたというわけでもない。膠着状態を作り出したとはいっても、まだ人識のほうが圧倒的に有利であることに変わりはないのだから。
たとえば僕の脅しを無視して、りすかと僕をまとめて一突きにし、そのまま一目散に逃走するという手も人識にはあるはずだ。
りすかの『変身』に死んでからのタイムラグがあることは、あの動画からも容易に知れる。
『詠唱』の間に逃げ切られたら、せっかくの切り札は無駄に終わるし、りすかは助かっても僕は死ぬ。
変身後のりすかなら僕の身体を『治療』することもできるが、致命傷レベルのダメージを負った僕を『蘇生』させることが『この場においての』りすかに可能かどうかはわからない。
りすかの『制限』について、僕はまだ正確に把握し切れていないのだ。
ただ、その選択肢をとらない理由も人識にはある。向こうからしたらこの状況は相手を完全に追い詰めている形で、言うなれば獲物を一網打尽にする絶好の機会なわけだ。
獲物のひとりを取り逃がす可能性のあるりすかの『変身』は、できれば発動させたくないはずだ。
その部分において、僕とこいつは利害が一致している。こちらにとっても『変身』は最終手段だ。易々と使えるものじゃない。
だからこその膠着状態。
だからこその駆け引き。

「…………」「…………」「…………」「…………」

僕とりすかと人識と玖渚、四人の視線が不揃いに交錯する。
依然として、僕らの足下は崖っぷちのままだ。
ならばどうするか。それを考えるのが、僕の役割だった。



   ◇     ◇



【真夜中】
『真庭鳳凰』 G-7


考えれば考えるほどに、思考がまとまらなくなる。
首輪探知機のことに思い当たってからずっとこの調子だ。足は動かず、思考だけが働き、しかして有用な考えは浮かばず、時間だけが無為に過ぎ行く。

――そもそも本当に、この先に様刻と伊織がいるのか?

否、そこを今から疑ってどうする。それを確かめるために向かうのが今すべきことだろう。
何のために、あの不愉快な女の姿まで借りたと思っているのだ。ここで臆していたらすべてが無意味ではないか。

――いや、すでに無意味ではないのか?
――我の名があの機械で割れている以上、この姿でいることに何の意味がある?

否、無意味と決め付けるな。この姿を、この顔をどう活かすかを今は考えるべきだ。
我が接近すれば、連中は我の存在に気がつくだろう。だがこの姿ならば、まだ言いくるめる余地はあるのではないだろうか。

――機械の誤作動ということにしてみたらどうだ?
――間違っているのは機械の表示で、我は鳳凰とは別人だと主張してみるか?

否、さすがに無理がある。すぐにばれる嘘だ。万が一、奴らが我の忍法命結びを知っていたとしたら尚のこと通じない。
そもそも別人と言い張るにしても誰の名を騙る? 吐かなければならない嘘が多すぎるだろう。
連中が我の名を警戒していることは確実なのだ。下手な嘘は逆効果でしかない。

――いっそ逆に、こちらから正体を明かして降伏の意を示すか?
――我はもう争うつもりはない、心を入れ替えたので同行させてほしいと言って、仲間になったふりをして機を待つか?

否、馬鹿か。それこそ通じるわけがない。
仮に通じたとしても、連中におもねるような真似など我の矜持が許さぬ。顔を捨てる覚悟はあっても、真庭忍軍の頭領としての誇りまでかなぐり捨てる気はない。
頭領……そうだ。

――蝙蝠に協力を仰ぐのはどうだ?
――この場を一度離れ、蝙蝠と合流してから改めて奴らを始末しに行くというのは?

否、手がかりも手段もなくどうやって探すというのだ。我はまだ、蝙蝠の影さえ捉えられていない。探そうと思えば当てずっぽうに頼るしかないのだ。
それにもし、あの二人が本当に傷の治療を目的として薬局に向かったのだとしたら、今この時こそ好機のはず。
時間が経てば経つほど奴らにとっては対策を練りやすくなり、逆にこちらは奴らの動向を探り難くなる。
どこにいるのかもわからぬ仲間を探して右往左往している間に、不利に追い込まれてゆくのは我のほうだ。ならば危険を承知で、このまま乗り込んでいったほうが――

――勝てるとでも思っているのか? この身体で、たったひとりで。

否、何を考えている。臆していては何にもならぬと先刻言ったばかりではないか。

――奴らを追うのは諦めたほうが得策ではないのか?
――命を賭してまで奴らに復讐する意味が本当にあるのか?

否、何を馬鹿な! この期に及んで命を惜しむなど、それこそ頭領としての――否! しのびとしての誇りを捨てるも同然ではないか!

否、否、否、否、否、否、否。
否否否否否否否否否否否否否否――――

「なんだというのだ、一体!!」

たまらず叫ぶ。
ひそやかに行動すべきだと頭ではわかっているはずなのに、心が荒ぶるのを止められない。
否定、否定、否定、否定、否定ばかり!
あの女のしたたかさを、小賢しさを、得体の知れぬほどのしぶとさを得ようと、この顔を我が物にしたはずだった。
だというのに、なんだこの体たらくは。
行動も思考も、後ろ向きの否定ばかりで一歩も動けぬではないか!
誰に止められているわけでもないのに、誰に命じられているわけでもないのに。
信じられぬ。これがあの女の人格だとでもいうのか。
こんな人格を、こんな精神を、あの女は身の内に宿して生きていたとでもいうのか。
他人を、自分自身を、どころか世界そのものを否定するような精神を抱えてなお、あの女はああも高慢に、傲岸不遜に振舞っていたとでもいうのか。
常軌を逸している。
どんな器があれば、そんな人格が収まりきるというのだ。

「……落ち着け、己を見失うな」

そうだ、妄執にとらわれている場合ではない。いま為すべきことは、あの二人を抹殺することのはずだ。
着物の懐から包丁を取り出す。その柄を握りしめ、心を鎮めようと努める。
刃先を様刻の心臓に突き立てるのを想像する。
伊織の首筋を一文字に掻き切るのを思い浮かべる。
そうだ、それが我の為すべきことだ。
どれだけ否定されようと、その目的だけは必ず成し遂げて――


その時。
月明かりを背に、包丁を目の前にかざした、その瞬間。
磨き抜かれた、銀色に光る刃渡り七寸ほどの牛刀。
その刀身に、目が映った。
今現在の鳳凰の顔が、その碧色の瞳が。


否定姫の目が、鳳凰を見た。


「――――!!」


――あなたの夢を否定する。
――現実しかないと否定する。
――否定して否定して否定する。
――何も叶いやしないと否定する。
――ただ無意味なだけだと否定する。
――今のあなたの思考すべてを否定する。
――否定して――否定して否定して――否定して否定するわ。



「うおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!!!」



己の顔めがけて包丁を突き立てる。切っ先が頬を突き破り、口内まで貫通する。
それでも治まらず、顔の表皮を縦横無尽に切り刻んでゆく。鼻が千切れ、瞼が落ち、唇が裂け、顔面が満遍なく傷だらけになったところでようやく動きを止める。
ずたずたの顔で、血まみれの口で、言葉を発する。

「こうなったのもすべて、あ奴らが原因だ……あの小僧と、あの小娘。奴らさえ、あの二人さえいなければ――」

――奴らさえいなくなれば。
――奴らさえ殺すことができれば、我はこの呪縛から解放される。

今度こそ、否定の言葉はなかった。それこそが正解だと、それこそが真実だと、己に言い聞かせるように何度も反駁する。
根を張ったようだった足がいつの間にか動いているのを、どこか他人事のように感じていた。



   ◇     ◇



『供犠創貴』 D-6 ネットカフェ


あれから数十分、いや一時間は経っただろうか。
僕たちは依然、この狭い個室の中でにらみ合いを続けていた。何の打開策も、何の妥協案も打ち出せないまま、四人とも無言のままに時間だけを無為に消費していた。
人識のほうから何か切り出してくればそれに合わせて交渉も可能なのだが、相手にこうも石になられると、何のカードもないこちらとしては相手の出方を窺うしかない。
いや、正確にはさっき玖渚が「外出ててもいい?」などとあくび混じりに言っていたのだが。いいわけないだろ。
下手の考え休むに似たりと言うが、この場合は休息にすらなっていない。蹴られた顔は相変わらず痛むし、拳銃を構えっぱなしの腕はすでに痺れてきている。気を抜くと取り落としかねない。
人識の殺気を受け続けて、りすかの精神もいつまで持つかわからない。錯乱でもされたら駆け引きも何もなくなる。
……もしかして、このまま僕たちが疲弊するのを待つつもりか?
持久戦もいいところだが、この場で生殺与奪の権を握っているのは実質人識のほうだ。効果的と言えば効果的な策かもしれない。
くそ、冷静にならなくてはいけないのに、こちらが先に焦れてしまいそうだ。相手が『待って』くれているだけ、まだ幸運と捉えるべきなのに。
人識とて、これ以上時間を浪費するのは望ましくないはずだ。僕たちがこの場所を突き止めたように、誰がいつ乱入してこないとも限らないのだから。
そういえば、蝙蝠と宗像は結局どうなったのだろう? 
こいつの言質が取れていない以上、あの二人が生きているかどうかは半々だと思うが――もし宗像が無事だったなら、ここに駆けつけてこないのは不自然に思える。
玖渚を屠ったという蝙蝠の嘘をあいつが信じていたとしても、だ。
問題は蝙蝠のほうだが、さっき考えた通り逃げた公算が高い。しかし逃げたということは、舞い戻ってくる可能性もまたゼロではない。ゼロでない以上、人識にはそれを警戒する理由がある。
例えば人識が今持っている絶刀。よくわからないが蝙蝠はこの刀に随分と執心している様子だった。この刀を奪還しに戻ってくるというのも考えられなくはない。
あいつがここに戻ってきたとして、それが僕たちにとって打開策になり得るだろうか?
膠着状態を打破することにはなるだろうが……今のこの、僕たちが置かれている状況を知ったとして、あいつはどういう行動をとるだろう?
もし僕が蝙蝠だったとしたらどうする?
僕だったら、わざわざ姿を見せて戦闘にもつれ込むような真似はしない。
四人まとめて皆殺しにする。
手持ちの武器に爆弾があったら迷いなく放り込むし、なければプロパンガスでもなんでも持ち出して、あわよくばネットカフェごと一掃する。
最終的に一人だけが生き残れるルールの上で、四人を同時に葬ることのできる状況というのはまさに絶好の機会だ。一人でも二人でも三人でもなく、四人。その数字は大きい。
多少の犠牲を出しても、僕ならそうするだろう――僕が思いつくくらいだ、卑怯卑劣が売りと自称するあいつならなおさらだ。もっとえげつない手段に訴えてくる可能性だってある。
少なくとも、わざわざ人識と対峙してまで僕たちを救い出すような仏心を見せるなんてことは、万に一つでもないだろう。たとえ僕たちにまだ利用価値を見出していたとしてもだ。
助けは期待できない。
かといって、この状態を維持するのも時間の問題だ。
考えれば考えるほど絶望的な状況に思えてくる。
せめて、何かひとつ。
八方塞がりのこの状況を変えるような何かさえあれば――

「……あなたは、」

え、と思う。
相手から目をそらしてはいけない状況にもかかわらず、意識を奪われそうになる。『人質』に取っている状態のりすかが、僕の腕の中で、沈黙を破って唐突に発言した。

「あなたは――『あなたたち』は、どうしてそんな目を、そんな目で、人間を、『生物』を見ることができるんですか……?」

緊張している様子ではあったが、声は震えていなかった。いつものように片言の日本語でもない。まっすぐに人識を見据え、一言一句はっきりと言葉を紡ぐ。

「あなたにとって、人殺しとはなんなんですか? あなたは人を殺すことで、何を感じているんですか? あなたは、あなたは本当に――」

――あなたは本当に、人間なんですか?

そう言って、また口をつぐむ。視線に耐えかねたのか、人識から目をそらすようにしてうつむいてしまう。

「…………」

人識は答えない。ただ一層、怪訝そうな視線をりすかに返しただけだった。
普段の僕なら余計な発言をするなと叱りつけていたかもしれなかったが、その質問の唐突さと脈絡のなさに反応し損ねてしまう。
なぜ今、そんな質問をする?
りすかの話を聞いて、『零崎』との接触が僕より多かったことは知っている。目の前の人識には拉致までされているし、その『殺意』に触れた時間も相当長かっただろう。
だからといって、こんな質問に何の意味がある? だいたい人識からしたら僕もりすかも親の仇みたいなものだし、こっちからそんな質問をするほうが間違っているように思う。
それに、人殺しというなら僕もりすかも同様のはずだ。
僕たちは今まで、『魔法狩り』と称されるほど何人もの魔法使いを殺してきている。無論それは、自分たちの目的を達成するためという正当な理由に基づいての行為だが。
そもそも人間かどうかというなら、りすか自身が『魔法使い』という人間とは異なる種族なわけで……
何から何までずれている。
日本語として正しくはあるが、質問の向きが突っ込みどころ満載だ。
それでも、りすかの様子を見る限りその問いは真剣そのものだった。どうしても訊きたいことを、意を決して訊いたという風に。
『魔法使い』であるりすかが。
目の前の『殺人鬼』に、一体何を感じている……?


――prrrrrrrrrrrrrrrrr。


鳴り響いた電子音に一瞬、思考がストップする。
何かと思っていると、「うに?」と玖渚が目をこすりながら(この状況でうたた寝していやがった)音の発生源である携帯電話を取り出した。

「おい――」

電話に出ようとした玖渚を僕は制止しようとする。こちらからかけようとした場合は問答無用で止めるつもりだったが、かかってきた電話を取られるのもいただけない。
さっき聞いただけでも、こいつはすでにかなりの数の協力者を得ている。『人質』の手前動かないだけで、仲間を呼ぼうと思えばいつでもできるのだ。

「構わねぇ、出ろ」

しかしそれを、人識によってさらに制される。

「ただしこっちの状況については一切説明するな。この場所も教えるなよ。向こうの用件だけ聞いて、あとは適当にごまかせ」

そう言われ、「うい、了解」と電話に出る玖渚。

「…………」

今のは人識が言わなければ僕から切り出していた『妥協案』だったので、ある意味ではまあ良しなのだが……機先を制された感は否めない。
しかし、誰からの電話だ?
今までの玖渚の話から推測するなら戯言遣い羽川翼が筆頭だろうけど、こいつの場合、もう誰と繋がっていても驚くに値しない。
僕が今一番危惧しているのは、りすかの魔法が通用しない、例えばツナギのような能力を持つ敵をこの場に呼ばれることだ。
増援を呼ぶような気配を見せたら、その時こそ本当に『変身』させるしか――

「あ、舞ちゃん?」

意表を突かれたような表情を、人識はした。



   ◇     ◇



無桐伊織』 G-6 薬局


「伊織さん、羽川さんたちを待ってる間に玖渚さんに連絡を取っておくのはどうかな」

羽川さんとの交渉を終えて、相手からの返事を待ちながら首輪探知機で周囲の警戒をしていた様刻さんがそう言う。
唐突に、「今思いついた」みたいな感じで言ってきたので、「ふえ?」と間の抜けた反応を返してしまいます。

「向こうからメールは貰ったけど、ここに来てからまだ玖渚さんにこっちから連絡してないからさ。
 どのみちこれからランドセルランドで合流することになるんだろうけど、羽川さんたちのこともあるし電話の一本くらいは入れておいてもいいんじゃないかなって」
「ああ、そう言われればそうですね」

玖渚さんから送られてきたメールを読んだせいで何となく連絡し合ったような気になっていましたが、思えばこちらの近況を伝えたという話は様刻さんはしていませんでした。

「すっかり忘れていました! 玖渚さんたちのことを」

ぺちんと頭をたたいてみせると、様刻さんが呆れた表情を向けてきます。いや、冗談ですよ?

「まあ、何かあれば向こうから連絡してくるだろうけど……僕たちのほうに何かあった場合のために、なるだけ今のうちに情報を共有しておいたほうがいいと思ってね」
「…………」

『何かあった』場合。
確かに、いくら首輪探知機で索敵できるといっても絶対の安全が保障されているわけでもないですし、もしもの事がいつ起こるとも限らないのは当然のことですけど。
これからここに来る羽川さんたちが、実は危険人物だったという可能性もなきにしもあらずですし。
そういう意味では、様刻さんが言っていることは理屈に合っています。
ただ、「自分が死んだ後」のことをこうも淡々と考えている様刻さんに、どこか妙な雰囲気を感じてしまいます。
私がいない間に何かあったんでしょうか?
まあ男子三日会わざればと言いますし、考えても詮無きことなんでしょうけど。

「わかりました。では私が電話するので、様刻さんはそのまま周囲の見張りをお願いします」

そう言って、携帯電話で玖渚さんの番号をプッシュします。
宗像さんも一緒にいるでしょうから、ついでに大事なかったか聞いておきましょう――あの人と玖渚さん、いったいどういう話をしているんでしょうね?
相性がよさそうには見えなかったので、そこが少し心配ですけど。
少し長い呼び出し音の後、「あ、舞ちゃん?」と溌剌とした声。よかった、とりあえずいつもの玖渚さんの声です。

『どーしたの? もしかしてもう待ち合わせ場所に着いちゃった? メールにも書いたけど、まだちょっと遅れそうなんだけど』
「いえそうではなくて、近況報告といいますか、こっちで色々あったので、合流前に連絡を入れておこうかと」
『今度は変な用件じゃないよね?』
「ええ、まあ、大丈夫です」

まだ根に持ってたんですか、あの事。

「えーと、その前に玖渚さんのほうには何もありませんでしたか? 宗像さんもいるんですよね? あ、まだ寝てるんだったら起こさなくてもいいですけど」
『ん? うんまあ、大丈夫。何もないよこっちは。平和平和、平和そのもの』

なんだか少し早口気味に言う玖渚さん。殺し合いの最中を平和と表現するのはどうなんでしょう。

『それで、色々あったってなに? 真庭鳳凰の問題は片付いたの?』
「そのことも含めてなんですけど、ええと、まず何から話しましょうか――」
『……え? 何? どうしたのしーちゃん。……代わるの? 代わっていいの? わかった――あ、ごめん舞ちゃん。ちょっと電話代わるね』
「はい?」

代わる? 誰と? 宗像さんとですか?
いやでも今、「しーちゃん」って――

『何やってんだお前……』
「……え?」

聞きなれた声に、一瞬耳を疑ってしまいます。
ひ……人識くん?
な、何故人識くんがそちらに?
いや、玖渚さんが人識くんの電話番号を知っていたということは、連絡を取り合ってはいたんでしょうけど……

「い、いつの間に玖渚さんと一緒に?」
『ついさっきの間にだよ。お前こそいつの間にこいつと仲良しになってんだ。舞ちゃんとか呼ばれて、女子高生かお前』
「し、失礼ですね。普通だったらまだ女子高生ですよう。人識くんこそ、しーちゃんって何ですか。愛称にしたって可愛らしすぎでしょう」
『黙れ。言っとくが俺は、こいつとは別に仲がいいわけじゃない』
「玖渚さんから聞いてますよ。戯言遣いって人の知り合いなんですよね? なら友達の友達みたいなものじゃないですか」
『あいつとも別に友達ってわけじゃねえ……つーかお前、相変わらず能天気に構えてんな。予想してたとおりじゃねえか』
「うふふ、人識くんったらそんなに私のことが心配だったんですか? 余計なお世話ですよう。心配性ですねーしーちゃんは」
『ぶっ殺すぞ!』

ああ、ついいつもの調子で会話してしまいます。こんなことしてる場合じゃないのに。
心が浮き足立つ。
安堵が押し寄せてくる。
生きててよかった。口には出しませんが、改めてそう思う。

『お前、真庭鳳凰ってやつと何かあったのか』
「へ? いやまあ、色々と」
『詳しく聞かせろ』
「……んー」

いきなりそこを聞いてきますか。
いや、いずれわかることだし隠す意味もほとんどないんですけど、いちおう人識くんには「殺人衝動が溜まっている実感はない」ということにしてあるので、
約束を破ったこと以前に『暴走』してしまったことは、なんとなく直接には話しづらいというか……
でも、まあ、話さないといけませんよね。
逃げるのはもう、やめたんですから。
とりあえず、図書館から出る前あたりからのことをかいつまんで話します。
西条玉藻という女の子と出会った際に殺意を抑えきれなくなって暴走してしまったこと。その直後、鳳凰さんの襲撃にあって暴走したまま追っていったこと。
そこまで話すと、『はぁ~』とうんざりした感じのため息が電話の向こうから聞こえてきます。

『そっちでも『真庭』の名前かよ……一体何の因縁があるっつーんだか。一勢力が零崎にここまでつっかかってくるなんざ、普通だったらありえねーぜ。兄貴や大将が黙ってねーだろうな』

まあどっちもすでに死んじまってるけどよ、と人識くん。
うーん。ちょっと心配してたんですけど、こうして笑いながら話しているのを聞く限り、双識さんや他の零崎の人たちが死んだのをあまり気にかけていないように感じます。
双識さんのことくらいは、少しくらいショックかなと思ってましたのに。

『ところで、図書館で会った玉藻ってやつから何か聞いたか?』
「いえ、自慢するわけではないですけど、先制で瞬殺だったので……あ、そういえば最初に人識くんの名前を読んでたような気がするんですけど」
『……そうか』

そう言って少し黙り込む。もしかして知り合いだったんでしょうか。
何を言ったらいいか迷っていると、『でもまあ』とすぐに気を取り直したような声が聞こえてくる。

『でもまあ、こうして暢気に話せてるってことは鳳凰ってやつも撃退できたってことだよな。結果オーライだ。無事に済んだんだったら気に病むことなんざひとつもねえよ』
「そう、ですね」

なんだか気遣われてるみたいですけど、正直ほっとしてしまいます。
もしかして、本当に私を心配して電話を代わってくれたんでしょうか。だとしたら普段の人識くんらしからざる振る舞いで、逆にちょっと不安になります。
悪い気はしないですけど。

「えーと、ただですね、まだ結果オーライというには早いというか、無事に済んだとは言えないというか」
『あん?』
「助かったことは助かったんですけど――その、両足折られちゃいまして」
『……何だと?』
「様刻さんがいてくれたから何とかここまで移動してこれましたけど……それと鳳凰さん、一度は撃退したんですけど、まだ生きてるみたいで。しかも割と近くまで来ちゃってるんです」

鳳凰さんと戦闘になったときのことからを、続けて話して聞かせます。首輪探知機のことや、様刻さんから聞いた鳳凰さんの忍法のことも含めて。

「今のところ動く気配はないみたいなので、様子見しているところです。
 あ、でも羽川さんって人に迎えに来てくれるよう交渉してみたので、移動する算段はついていますが。いざとなったら様刻さんにおぶってもらいますし」
『…………』
「あーそれとですね、羽川さんと電話した時、人識くんのこと根掘り葉掘り聞き出されちゃって。
 やり手というか、ごまかしが効かない人だったので洗いざらい話しちゃったんですが……まずかったですかね?」
『…………』
「……? もしもーし、人識くん?」

沈黙。
どうしたんでしょう、何か引っかかるようなこと言いましたっけ。

『お前、俺の電話番号知ったの、いつだ』
「へ?」
『この青髪娘と連絡取り合ってたっつーんなら、俺の連絡先知らされてなかったって事はまさかねーだろ。いつ教えてもらった』
「え、えーと、ここに着いてから貰ったメールで知ったので、三、四時間前くらいですかね」

あれ、何でしょうこの感じ。声のトーンが少し変わってます。
なんか人識くん、怒ってません?
やっぱり羽川さんに色々話したのが駄目だったんでしょうか。それとも鳳凰さんをきっちり殺しておかなかったことを咎めてるとか?
でもあれは様刻さんも考えた上での選択だったわけですし、まさかあの状態から復活してくるなんて思わなかったわけで――

『何でもっと早く、俺に連絡しなかった』

え? そこですか?
確かに番号を知ってから、直接電話するのはずっとためらってましたけど……

「いや、そのう、わざわざ人識くんに連絡するほど切羽詰った状況というわけでもないと思いまして――」





『――ふざっっっっけんじゃねぇっ!!!!』





……携帯電話が爆発したかと思いました。
突然の大音声に、様刻さんも目を丸くしてこちらを見ています。
え? え? え? 何ですかこれ?

『どうせいつもみたく暢気に能天気にやってんのかと思ったら、本当に何やってやがんだお前は! 底の底から馬鹿かお前! そのニット帽の下には何も詰まってねーのか!?』
「に、ニット帽の下には髪の毛が詰まってると思うんですけど」
『両足折られただ!? お前それ、どう考えても非常事態だろうが! 何が『切羽詰ってない』だ! お気楽具合も大概にしろ! 終いにゃ殴るぞお前!』
「あ、あの――」

頭がついていきません。
心配されてるのはわかるんですけど、そんな急にキレることですか?

『そんな状況で、なんでさっさと俺を呼ばねーんだ! 逃げるのはやめたとか何とか言って、お前結局、俺から逃げてんじゃねーか! 俺に助けられるのがそんなに嫌か!』
「…………!!」

不意に、心に刺さる。
逃げてる? 私が? よりにもよって人識くんから?

『俺がうっとうしいっつーんなら別にいい。本気で助けがいらねーっつーんだったらそれで構わねえ。それなら俺がわざわざ助けに行く理由もねーからな。
 だがな、もしお前が俺に助けられることに負い目を感じてるだとか、『両手を失くした時にも散々迷惑をかけた、また同じ迷惑はかけられない』だとか、
 そんなくっだらねえ理由で俺を呼ばなかったってんなら、今すぐそっちに行ってその両足さらにもう一段階へし折んぞ!』
「ち、違います!」

思わず声が大きくなる。
違う、違う、そんなんじゃない。

「か、勝手に決め付けないでくださいよう――私がそんな、人識くんに気を使うなんてことあるわけないじゃないですか! 私の太平楽さを甘く見ないでください!
 さっきまで、人識くんの存在すら忘れてたくらいなんですから!」
『お前、殺人衝動が溜まってたこと俺に黙ってやがったな』
「…………う、」
『どうせお前、俺に合わせる顔がないだとか、約束破って怒られるだとか、そんなことごちゃごちゃ考えてたんだろうが。お前こそ俺の太平楽さ舐めんじゃねーぞ!
 あの赤女はもうくたばってんだ、約束なんざ無効だ無効! よしんば有効だったところで、俺がそんなことで怒るとでも思ってんのか!!』
「い、今怒ってるじゃないですかぁ……」
『平気だとか余計なお世話だとか切羽詰ってないとか、お前は自分の命が危ねーって時にすら同じこと言い続けてんのか!? どんだけ我慢するつもりだお前は!!
 だいたい鳳凰ってやつが近くまで来てるってんなら、今まさにやべえ状況だろうが!
 様子見? いざとなったら? アホか! 悠長に電話してる暇があったら、背負ってでも何でもしてもらって今すぐそこから離れるべきだろうが!
 そうしないのはその様刻ってやつに対する気遣いか!? ご立派なこったな! お前はそれを、自分が死ぬまで続けてるつもりかっ!!?』
「う、ううう……」

何ですか、何なんですかもう。
気遣ってくれたと思ったら、急に怒って、急に怒鳴って、意味わかんないですよう。
いつもは無関心なふりばかりしてるくせに、こんなのずるいです。
そもそも連絡くれなかったのは人識くんも一緒じゃないですか。私は最初から人識くんのことを探してたのに。ずっと心配していたのに。
どうせ、私のことなんて。
私のことなんて、人識くんは家族とも思っていないくせに――

『兄貴も大将も曲識のにーちゃんももういねーんだ、本気でやばい時くらい、俺を頼れ! 助けが必要な時くらい俺を呼べ!
 いいか、お前が本当に『零崎』として生きていこうってんならな――』



『“家族に頼る”ことから、いちいちもっともらしい理由つけて逃げてんじゃねえ!!』



…………え?
人識くん、今私のこと『家族』って言いました?
私のことは『妹』とは思ってないって、自分の家族は双識さんだけだって、ずっと言ってたのに――

「――――伊織さん!」
「うわあ!」

いつの間にか、様刻さんが目の前に立っていました。首輪探知機を片手に、少し急いたような表情で。

「電話中に悪いけど、真庭鳳凰に動きがあった」

こちらに向けた画面の中で、確かに鳳凰さんの名前が動いていました。しかも、まっすぐこちらへ向かって。

「ごめん、少し目を離していた間に動いていたんだ。とりあえず、ここは離れたほうがいいと思う」
「あ、そ、そうですね」

電話はまだ繫がったままですけど、何を言ったらいいのかわからない。
えーと……

「あ、あの、人識くん。今の聞こえてましたよね? とりあえずここ、人識くんの言うとおり、移動しますから。話の続きはまた後で――」
『……悪かった』
「は、はい?」
『いきなり怒鳴って悪かった。謝る』
「は、い、いやその、私のほうこそ――」

反応に困る。
これ以上混乱させるのやめてくださいよもう。

「き、気にしないでください! 人識くんの言うことなんて私、全く気にも留めてませんから!」

また怒られるかと思いましたけど、『そうか』と一言だけ返してきます。逆に怖いんですけど。

『様刻ってやつは、今そこにいるんだな?』
「え、はい」
『そいつとちょっと代わってくれ。すぐに済むからよ』

様刻さんと?
そういえば様刻さんと人識くんって、一度顔を合わせてるんでしたっけ……。

「あの、人識くん」
『ん?』
「ええと――く、玖渚さんのこと、よろしくお願いしますね」

意味も分からず、そんな言葉が口を突いて出る。
何をどうお願いするのか聞かれても、自分でもよくわかりませんけど。

『ああ、任せとけ』

適当に言ったはずの私の言葉に、そんな確信的な返事が返ってくる。
よくわからないまま、私は様刻さんに携帯を渡してしまいます。

「…………」

ぼんやりとした頭の中で、今さらのように訊いておくべきだったことを思いつく。
明らかに、いつもと違う様子の人識くんに訊いておくべきだったことを。
人識くん。
そっちで何か、あったんですか……?



   ◇     ◇



『櫃内様刻』 G-6 薬局


「もしもし、電話代わったよ」

なんだか困惑したような表情の伊織さんから携帯を受け取る。
話に聞いていた零崎人識が玖渚さんと一緒にいると聞いたときは少し驚いたけど、考えてみれば別に不自然な事でもなかった。
玖渚さんは人識の連絡先を知っていたのだから、待ち合わせしようと思えば簡単にできただろう。
驚きというならむしろ、さっきの怒声だった。少し離れたところにいた僕にすら一言一句聞こえてきたほどの大声だった。
最初に会った人識とキャラが違いすぎる……伊織さんから聞いていた印象とも少し、いやだいぶ違う。
こんなストレートに、そして突発的に『妹』を叱責する『兄』というキャラクター像は全く浮かばなかった。
見た感じ、一番驚いているのは伊織さんのようだけど。
まあ、両脚の怪我を心配しての叱咤だったようだし、そう考えたらいいお兄さんだよな……伊織さんと同じで、殺人鬼であることに変わりはないそうだけれど。

「斜道卿壱郎研究所で一度会ってるんだけど、覚えてないかな」
『研究所……ああ、あの時のあんたか。生きてたんだな。……あー、なんつーか、あのあと大丈夫だったか?』
「大丈夫だよ。僕の中では、あのことについては一応蹴りがついてるから」

思えば僕はあの時、人識のおかげで命を取りとめたのだった。零崎があそこにいなかったら、僕は時宮時刻に為す術なく殺されていただろう。
その後で、壊れかけた僕の目を覚まさせてくれたのは伊織さんだった。何の変哲もない一般人である僕がこうしてまだ生き残っていられるのは、大げさでなくこの二人のおかげだ。
玖渚さんにもずいぶん助けられているけど。
僕が伊織さんと一緒にいるのは、案外それが理由なのかもしれない。
恩義に報いるとかそういうことではないけれど、『伊織さんに協力する』という選択肢を選ぶ理由として、それが適切であるように思うから。

「あの時は世話になったね。そういえば礼も言えてなかったな、ありがとう」
『いいよ、あんなもん気まぐれだ。それよりあんた、真庭鳳凰ってやつは確かにそっちへ向かってんだな?』

もう一度探知機を見る。今度は立ち止まる気配もない。相変わらず、まっすぐこちらへ近づいてきている。

「ああ、狙いはたぶん僕だろうな……伊織さんの治療のために薬局に来たけど、その考えを鳳凰に読まれたのかもしれない」
『そうか、わかった。あんたはとりあえず伊織ちゃん連れて、そこから移動してくれ』
「了解。一応言っておくけどランドセルランドに向かうつもりだ」

あわよくば途中で羽川さんたちと合流できるだろうけど、向こうの通るルート次第ではすれ違いになるかもしれないから、向こうから返事が来たときに伝えておくべきかな。
下手すると、羽川さんたちが鳳凰と鉢合わせるなんて事態にもなりかねないし。
悪ぃな、と人識は言う。

『俺の身内が迷惑かける。すまねぇがしばらくの間、よろしく頼むわ』
「いいよ、助けられてるのはむしろ僕のほうさ」

僕は僕のやるべきことをやる。そう決めたのも僕自身だ。

「それに、妹を気遣うのは兄として当たり前だろう?」

若干冗談めかして言ったはずのそんな台詞だったが、それを受けて人識は『……あー、』と何かを言いよどむ。
もう一度伊織さんに代わったほうがいいだろうかか、と考えていると、『様刻』と急に名前を呼ばれ、

『伊織ちゃんのこと、よろしく頼んだ』

それ、さっきも言ったじゃないか――と言う間もなく通話が途切れる。ツーツーツー、と無機質な電子音だけが耳に響く。

「…………?」

少し不可解に思いながら、携帯を伊織さんに返す。

「人識くん、なんて言ってました?」

伊織さんが聞いてくる。叱られてしょげているということはなさそうだけど、まだ少しぼんやりしている感じだ。

「伊織さんのことよろしく頼むってさ。それだけだよ」

首輪探知機を持たせて、伊織さんを背負う。余計なことに気を取られている暇はない。今はまず、ここから移動しないと。
念のため、鳳凰が来ている方向と逆側の裏口から店外へと出る。当然だが、外はもう真っ暗だ。山火事で北の空だけが赤く燃えている。
遠くから察知される危険があるため、懐中電灯は点けないでおく。足元が不安だが、この暗闇の中なら明かりさえ点けなければ見つかりにくいし、むしろ好都合か。

「よろしく頼んだ――か」

歩き出しながら何となく呟く。言ってから、さっき感じた不可解さの正体に思い当たる。

――伊織ちゃんのこと、よろしく頼んだ。

あの言い方はまるで、遺言のようではなかったか。



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最終更新:2015年07月11日 14:43