1
――冬の夕暮れは家が恋しくなる
少し肌寒い気候だった。少し厚着をしてくるべきだったな。往来を行く人達を見てそう思った。
騒々しい夏は過ぎ去って、寂しげな秋から厳しい冬へと移る間の隙間の季節。
久々に連休を貰い、どう過ごそうかと思案している俺に声を掛けてくれたのはなのはさんだった。
休みが重なったようで自分の世界の地球に一旦帰省するらしく、それに同行しないか? と誘って貰った。
自分の知らない地球。コーディネイターもナチュラルも無い地球。
酷く興味を惹かれて、こちらこそとお願いした結果。今俺はここに立っているというわけだ。
冬支度を始めた街は、寒さに負けないように忙くざわついていて、少し気の早い店はクリスマスの用品を店先に並べていた。
物珍しそうにきょろきょろと辺りを見回す俺の手を、なのはさんが掴んで先を促す。
「どう? ここが私の生まれた街、海鳴市だよ」
朗らかに笑う彼女はとても楽しそうだった。ここが彼女の故郷、帰るべき家がある街。
まだ着いたばかりだけれど、なんとなくいい街だなと感じた。目の前の女性がこんなにもいい笑顔で
話す街なんだから、誰だってそう思うだろう?
「その……に、荷物とか置きに一回翠屋に寄っていいかな? 両親に、しょ……紹介とかもしたいし……」
そう聞かれて断れる程俺は図太くない。それに部下としてきっちりと挨拶しなければ。そういえばなのはさん
妙に頬が赤かったな、なんでだろ?
なのはさんの実家は、喫茶店の経営をしているのは知っている。そこに向かって歩いている間も楽しそうに
街を俺に説明してくれた。あそこの店のタイ焼きが美味しい、こっちの店はクレープが美味しいと、あちこちを
指差しながら。もし自分がオーブを案内するとしたら、そう一瞬考えて辞めた。俺は故郷を捨てたのだから。
頭をよぎった考えを振り払うように、やけに食べ物ばっかりですね?
と突っ込んだら頬を膨らませたなのはさんに怒られた。
そして握られた手は暖かくて恥ずかしかったけれど、なぜだかとても自然に思えた……
なのはさんの実家、翠屋に着いたのは昼に近い時間だった。通りに面したその店は、落ち着いた雰囲気を醸しながらも
どこか華やいでいる感じがした。
歩道に並べられたテーブルは静かに来客を待っている。時間帯と気温のせいだろうか、外のテーブルには人はまばらに座っている。
椅子に腰掛けて足を休めているその人達が、美味しそうにホットを啜り、幸せそうにカップを置くのを見て、
この店が愛されているんだと漠然と思った。
「お父さん! お母さん! たっだいま~」
なのはさんが元気良く店内に入り、そう声を掛けた先には、柔和な笑顔をした女の人と男の人が立っていた。
たぶんこの人達がなのはさんの両親だろう、嬉しそう帰省を報告する様子を見て、少しだけ、古傷が痛んだ……
「おかえり、なのは。元気にしてたかい? ところで……」
「こちらの方が?」
「う、うん……その、部下のシン君」
ひとしきり再会を喜んだ後で、なのはさんは少し硬い顔のお父さんと、対照的にわくわくした顔のお母さんに
俺を紹介してくれた。……待て、俺がお父さんとかお母さんとか可笑しいな。ご両親だ、うん。
簡単に挨拶を済ませると、奥へと荷物を置きになのはさんが行った途端、妙に居心地が悪くなった。
……あれだ、なのはさんのお父さん、士郎さんの視線が原因だな。
視線をうろうろとさせていると、士郎さんとは対照的に桃子さんがうきうきと尋ねてきた。
「君がシン君ね、いろいろとなのはからは聞いてるわ」
……普段俺のことをどう伝えているんだ?
質問に対して曖昧に答えていると店が混み始め、やっと解放された俺は時計を見ると正午を少し回っていた。
昼休みに入ったサラリーマンやOLで空席は埋まり、カウンターの中で忙しそうに働く二人を見て
ただぽつんと立っているのも、申し訳無い気がした。それにしてもなのはさん遅いな……
「ごめんね、シン君、ちょっとこれだけ運んで貰えないかしら?」
振り向くと桃子さんがすまなそうに皿を指差す。まぁそれだけならいいかと思って、皿を手にとって注文主のテーブルへ
運ぶ。戻ろうとする俺を今度は他のテーブルのお客に呼ばれた、俺は店員じゃないぞ。しかし呼ばれた以上は行かなきゃいけないな
それにここはなのはさんの実家の店だし。俺のせいで評判を悪くするわけにはいかない。
甘かった……気がついたら俺はウェイターになっていた。私服でうろうろとテーブルを回るもの変に思って、エプロンを貸してもらい
ウェイターの真似事をする。なんだか可笑しかった、こうしているとまるでアルバイトをしているみたいだな。
どこにでもいる、普通の子みたいだ。そう思うとなぜだか嬉しくて、哀しくて……
折角の休日なのにと謝る二人に、気にしないで下さいと返事をして、仕事に戻る。そう、こんな仕事も嫌いじゃない。
穏やかな日差しが心地好い店内と、外の通りを温めて、俺の心も心地好く暖かい。
途中でなのはさんが奥から現れて、両親に抗議しようとするのを止めた。そうだ、どうせなら一緒にやりましょう?
ちょっと困った顔をするなのはさんに、カウンターから桃子さんが嬉しそうにエプロンを出していた……
「ふふふ、こうして見るといい二人ね」
「そうだな、ちょっと悔しい気もするが……まぁいいだろ」
そんな事を言われているなんて思いもしないで、ようやく落ち着いた店内のテーブルを片しながら、同じテーブルを片付けている
なのはさんと少し話す。そんなに似合ってますか? 俺のエプロン姿って?
可愛らしく笑うその顔を見て、俺はなぜだか顔が赤くなるのを感じた。そんな自分を見られるのが恥ずかしくて、タイミング良く
外のテラスにお客さんが着いたのが見えたから、逃げるようにそっちへと向かって行った。
「そういえば泊まる所は決まっているの?」
カウンターの中からそう桃子さんに聞かれた。なんとかなるだろうという安直な考えでいたので、決めて無かった。
適当にビジネスホテルでも探しますと返しておく。これだけの街だ、駅前に行けばいくらでもあるだろう。
無かったら無かったで、適当に24時間営業の店でも探せばいい。けどこれは声に出さないでおいた。
「決めて無いならうちに泊まりなさいな、客間はあるから気にしないでいいわよ、ねぇあなた」
「そうだなぁ、お金ももったいないし泊まって行きなさい。ホテルじゃお金が掛かるだろうしな」
正直ありがたい申し出だ。けれど、その言葉に甘えるのも悪い気がしたからどうしようかと考えていると、
なのはさんもそうしたらいいと薦めてくれた。ここまで言われても固辞するのは失礼なので甘えることにした。
それに今月の財布は今の気温よりも寒いしな……
手伝う必要も無くなったのか、なのはさんに街の案内の続きを提案する。日は中天を過ぎていたけれど、まだ夕暮れまでには時間がある。
それに……ちょっと上目使いで見られたら断れないだろ?
疲れた……街の案内のはずがいつまにか買い物に変わって、あちらこちらと引っ張りまわされる羽目になった。
なんだって女の子の買い物はこんなに時間がかかるんだ? 化粧品に洋服、果ては下着売り場にまで引っ張り回された。
あの独特の空間でけはもう勘弁して下さい……
だけど心底楽しそうに、飾られた洋服や、聞いてもさっぱり理解できない効果の化粧品を選ぶ彼女は、とても可愛らしくて、
まぁいいか、っとそんな気分にさせてくれる人だった。
「ごめんね、私一人で楽しんじゃって」
手を合わせて申し訳無さそうに謝るなのはさんに、文句など言える訳も無く、一言平気ですよと返しておく。
本当は途中で帰りたいと何度も思ったけで、それは言わないで置こう。
それに安堵したのか、ほっと息を付いた後で笑顔でいるのを見たら、やっぱりまぁいいかって気分になったし。
「最後にあそこ行こうよ!」
俺が返事する前に手を引っ張られた。向かった先はゲームセンター。なんせ看板にそう書いてあるんだ、間違い無い。
それにしても、どこの世界でもゲーセンってのは似たような雰囲気なんだな。でもなんだってこんな所に?
そう問い掛ける俺の手を握って、なのはさんが奥の箱型の機械が並べられたコーナーへとずんずん進んでいく。
プリクラコーナー? なんだそりゃ?
フレームがどうのこうのとブツブツとひとしきり悩んで、やがてどれにするか決まったのか、やっぱり手を繫いだまま
俺達は機械の中に入った。そういえばほとんどこうしてたな……やば、今になって恥ずかしさが……
どうやら写真を撮るような機械ようだ。やたらとキラキラした背景の画面の中で、ちょっと顔の赤い俺達が写ってる。
空いている左手で、頭をちょっと掻く。隣にちょっとだけ目線をやると、気づいたなのはさんがにっこりと笑った。
パシャッ!
突然の撮影音に驚く。なんだか良く分からないうちにカウントダウンしてるし、隣の彼女は右手に抱きついてくるしで、
何がなんだか良く分からない内に撮影は終わったようだ。胸の感触がちょっと気持ち良かったな……ってそんなの考えてる場合じゃない。
外で待っててと言われたので、大人しく機械の外で待つ。中から落書きがどうのと聞こえたけどさっぱり解からない。
いい加減遅いから声を掛けようと思ったら丁度出てきた。なんでもいま撮った写真がすぐにシールになって出てくるらしい。
機械の横からかたんと、控えめな音と同時に、それが出てきた。なのはさんが手に取ったシールを横から覗き込むと、
いくつかのシールに文字が書かれている。あぁこれがさっき聞こえた落書きか、何を書いたんだろ?
☆♪初デート記念♪☆
…………たっぷり3秒は固まった。ぎこちなく横を見ると、茹で上がっているなのはさんと目が合った。
あぁっもう! そんな風に見ないで下さいよ! ま、まぁデートって言えばデートっすから……
最後は歯切れ悪くなったけれど、そう言い切った後彼女の手を取って外に出た。たぶん俺も茹で上がってるな。
外に出るとかなり暗くなっていた。本当にこの時期は日が落ちるのが早いな。家路を急ぐ人々に混じって俺の横を小さな少年と
それよりも小さな少女が通り過ぎた。兄妹なのか仲良く手を繫いで、今日の晩御飯を楽しみにしている会話が聞こえた。
早く家に帰ろう、今日は寒いからシチューがいいなって……
さっきまでの恥ずかしいような嬉しいような気持ちに、ちょっとだけ影が差す。今みたいにマユの手を引いてたっけ。
夏は中々帰りたがらないくせに、冬は早く家に帰ろうって煩かったな。
そうか、家か……帰りたいな、俺の家に…………
いきなり強く握られたことに驚いて顔を上げると、にっこりと笑ったなのはさんがいきなり走り出した。
唐突の引っ張られてことで足がちょっともつれた。俺が抗議の声を上げる前に、振り返った彼女がこう言ったんだ。
「さぁシン! 家に帰ろう、今日はシンの歓迎会だよ!!」
一瞬思考が停止して、その後涙が出そうになったけど、空いてる手で瞼を拭った。ここは泣く所なんかじゃない、
笑顔でいる時だ。そうだな、家に帰ろう。暖かい家族が待つ、暖かい家に。
本当の俺の家族じゃ無いけれど、今だけは……
2
――帰ろうよ、家に
それはまったくの偶然だった。シンが休みがシフトの都合で連休になり、私の方は多少無理してでも仕事をすれば、
同じ日程で連休を取れる。はやてちゃんは予算会議が大揉めに揉めて、ずれ込んだ会議で休みは取れず、フェイトちゃんは
出張が重なり休みは取れない。ティアナはつい先日に休みを取ったばかりなので、またすぐに休みを取るわけにはいかない。
こんな偶然の状況、多少どころか大いに無理して仕事を詰め込んででも、必ず休みを取るべきだよね。
そう思いながらも、自責の念は確実に存在する。
はやてちゃんは六課設立に尽力し、維持の為にそれこそ粉骨砕身で頑張っている。私達には決して話はしないけど、その道は
険しかっただろうと想像に難くない。私だって管理局に勤めて、それなりの時間が経っている。これほどの巨大組織の中で
若いはやてちゃんが建前上は実験的なそれとはいえ自前の部隊を持つ。やはり信じられない程に優秀だ。
だからこそ、リンディさんやレティ提督のみならず聖王教会までもがバックに就いてくれている。
新部隊設立には莫大なお金が掛かる。新しい隊舎の建設、デスク等の多くの事務用品、払い下げとはいえ高価な医療器具に
様々な治療薬。新しく雇うバックヤードの人達の給料に制服の支給、デバイスのメンテナンスを行う為の設備費用、訓練の
為のシュミレーターの設置費用。ざっと思い浮かぶだけでこれだけのお金が必要だ。もうちょっと考えればまだまだ必要だろう。
お金だけじゃない。新部隊設立に関して、ある程度の人員は他の部隊からの引き抜きもされる。引き抜いた先の部隊へのフォロー
に手を抜けば、後々それは遺恨という形で六課に仇となって帰ってくる。場合によっては地上部隊からも引っ張ってくるだろう。
ただでさえ、海と陸の間には大きな確執が存在する。ここまで考えるだけで頭がショートしそうになった。
問題をざっと挙げただけで私にはもう限界。もっと細かい問題に調整、それに伴う申請など想像すら出来ない。
フェイトちゃんだって凄い。エリート執務官として様々な世界を飛び回り、エリートの名に恥じぬ実績を残している。
母親は統括官にして兄は艦船を預かる執務官。周りからの無言の圧力は相当だったに違いない。自分の失敗が、自分だけに留まらず
家族の評価にすら関わっているという現実。六課設立後は、教導こそあまり顔を出さないけれど、忙しく飛び回っている。
設立の努力ははやてちゃん一人が踏ん張って、維持する為の努力もはやてちゃんとフェイトちゃんに丸投げ。
私はただ……出来るのを待て居ただけ、出来てからも前の教導隊と一緒の仕事をしているだけ。
一人取り残された気さえする、まったく意味の無いこの感情は、私自身の感傷に過ぎないと知りつつも確実に胸の中にあった。
でも……それでも……
私は私だ。それ以上でも無く、以下でも無い。今の私に出来ると事は新人達が無事に帰ってこれる様に、訓練を施すこと。
そしてはやてちゃんの夢そのものである六課を守る事。決して、誰も落させはさせない。
生還率100%。まるで御伽噺のような夢物語。そして誰もが叶うならと願うそれ。
誰かに傷ついて欲しく無い。誰かを傷つける仕事に就いている私の、矛盾した夢。
理想と現実の狭間で、私なりの努力を重ねている積もりでも、この小さな掌では零れてしまう方が多すぎて……
目の前の少年すら救えない私に、エースなどと呼ばれる価値は無く、今もこうして恋に身を焦がしているのだから、
私はエースというより唯の少女に違いない。
感傷はここまでにしておこう。この考えはいつまでも私の中に有り続けるだろうから、今くらいは他の事で悩んでいたい。
休暇の申請理由は実家への帰省。半分は本当、半分は……
勇気を出して彼を誘った。私の中では、いままでの人生で十指に入るほどの覚悟で誘った。
私の地球へ、私が生まれ育った街へ、私のまだ短い人生を育んで来た海鳴市へ。
了承の返事を貰った時は飛び上がりそうなほど嬉しかった。
早速両親へ帰省の連絡を入れ、同時に部下もそれに同行することを伝える。今回の帰省は特別なものになりそう。
少し寒い街に降り立った私達は、軽く身震いをすることで気候に抗議した。
南国育ちのシンは寒さに弱いのだろうか、一瞬私より大きく大袈裟に肩を震わせた。
転送して貰った先は、フェイトちゃんと別れ、再会した場所。思い出の場所だからこそ、笑顔で彼に伝える。
ここが私の街、海鳴市。
「いい街ですね」
そう、とてもいい街。私の大好きな街。
心底そう思ってくれているのか、彼の顔が笑顔になる。単純に、そして純粋に嬉しい。
とりあえず荷物を置くためと、彼を両親に紹介する為に翠屋に寄ることにした。今回は部下としてだけれど
次は恋人として紹介したいな……
翠屋に向かって歩きながら街を案内する。喋っていると次々と思い出が浮かび上がって、私の舌は羽が生えたかのように
軽やかに羽ばたく。もっと話したい、もっと知って貰いたい、私の想い出を。そうすることで彼と過去を共有しているような気がして、
ますます饒舌になった。次々と浮かんでくる過去は、ジャグジーの泡のようにささいな物ばかりでとめどない。
彼の指摘が無ければ私はもっと話していただろう。それにしてもそんなに食べ物ばっかりだったかな?
ちょっと恥ずかしくて、怒ったふりをしてみよう。シンの困った顔はちょっと可愛いし。
いつの間にか繋いだ手に気づいて、それを離さないで居てくれているのが嬉しい。私からだったか、彼からだったのか。
そんな事はどうでもいい。今、私達は手を繋いで歩いている。
翠屋が見えて来た。今も昔も変わらずにあるそこは、今も昔も愛されている。
いつの頃からか、そんな実感が肌を通して伝わるが分かった。こんな風に愛される店を、シンと一緒にやっていけたら……
「暖かそうな店ですね」
彼にあそこが翠屋だと伝えると、一言だけ返してくれた。めったに見せてくれない微笑みを浮かべて優しく……
だから私は嬉しくなって、いつもより元気に声を上げて帰りを告げた。その先には私のお父さんとお母さん。
一瞬驚いた顔をして、満面の笑みでおかえり。帰省のたびに掛けられるこの一言が家族の絆を再確認させてくれる。
シンを紹介しなければ。なにも硬くなる必要は無いよね? だって、その……部下を紹介するだけなんだし……
「シン・アスカです。高町一等空尉にはお世話になってます」
彼なりに頑張って、丁寧に挨拶しているのが可笑しい。こんな風に挨拶するのはきっと初めてなのかもしれない。
妙にかしこまった様子があまりにぎこちないのが何よりの証拠。だめだ、笑っちゃいけない。奥に逃げよっと。
荷物を置いて、鏡の前に立つ。さて、どんな服を着ようかな。街の案内だけど、これは立派なデートだもん。
いそいそとバックの中身を出して、あれやこれやと当ててみる。どうしよう……決まらない……
こんなことなら事前に来ていく服を決めて置けばよかった。化粧もしてなきゃ、いつもより念入りにね。
「どうせなら一緒にやりましょうよ」
思ったより準備に時間が掛かってシンの所に戻ったら、エプロンをして店員さんをしていた。
折角のデートを邪魔されたような気がして、両親に抗議をしようとしたら、他ならぬシンが楽しそうにしていて、
何も言えないばかりか、一緒にやらないかと誘ってくれた。カウンターからお母さんが差し出したエプロンを受け取ると、
慣れない様子でテーブルを回るシンのサポートをする。凄く楽しい。六課とは違う。翠屋でおそろいのエプロンをして、二人で
店内を回っていると、言葉に出来ない嬉しさが込み上げて来る。こんな風にシンと時間を過ごすのは初めてだから……
「ふふふ、こうして見るといい二人ね」
「そうだな、ちょっと悔しい気もするが……まぁいいだろ」
お父さんとお母さんの声が、店内のざわつきに混じって聞こえて、嬉しいやら恥ずかしいやら……
幸いシンの耳には届いていないようだ。でも、聞こえていたらどんなリアクションを取ってくれるのかな?
落ち着きを取り戻した店内で、テーブルの片づけを二人でしながら、話す。
「シンって意外とエプロン似合うね」
いつもの様に笑いながら感想を述べると、顔を赤くした彼はテラスへと逃げて行った。
そんな後姿が愛しい。まるで暖かな日差しが私の心までも暖めているよう。この温もりが彼の心も暖めてくれますように。
無愛想で、不器用で、強くて弱い、優しい彼の心を包んでくれますように
「そういえば泊まる所は決まっているの?」
両親と問いに決めていないと彼は答えた。たぶん、なんとかなるだろって考えていたに決まってる。
なんともならなかった場合は、どうせ24時間のファミリーレストランで夜を明かすつもりだったに違いない。
だって顔にそう書いてあるもん。絶対にそうに決まってる。決して私の家に泊まって欲しいわけじゃない。
部下をそんな待遇にするわけにはいかない、私は上司としてシンの身を心配しているのだ。両親も家に泊まっていけばいいと
言ってくれている。それに今回の海鳴市訪問は私が誘ったのだ、私にはホストとしての義務がある。だから絶対に
個人的な感情で、私の家に泊まって欲しいわけじゃない。
「店も落ち着いたし、街の案内の続きをしよ?」
まだ夕暮れには時間があるし、なにより目的がある。着替えをしながら、まるで天啓の様に降って来たこの名案は
なんとしても完遂しなければいけない。奇妙な義務感すら沸いてきた。
背の低い私は必然的に上目使いでシンに提案する、なぜだか赤くなった彼は、ぽりぽりと頭を掻きながら了承してくれた。
楽しい! シンと二人で歩く海鳴市は、私の知っているはずの場所なのに、まるで始めてくる街の様に高揚を誘う。
何度も来た筈の洋服屋はまるで別世界のように華やいで、何度も食べた筈のクレープ屋さんはいつもの何倍も美味しかった。
繋いだ手のひらから彼を感じて、それがとても自然に思えて、ついつい引っ張りまわしてしまう。
こんな洋服は似合う? この口紅はどう? この小物なんて可愛くない?
店を渡り歩き、矢継ぎ早に感想を求めてしまう。ふっと不安に思って彼を振り返った。私ばっかり楽しんでいないだろうか?
「平気ですよ」
短く答えたシンの顔は微笑んでいた。その顔を見て安心した。同時に胸に小さな火が灯る。
ちろちろと揺らめくそれはきっと、恋心。
さっきから頭の片隅にあった計画を実行しなきゃ。小さな火は確かな熱を持って思考を焦がす。もういい時間だし、
こちらに着いたばかりで疲れてもいるだろうし……
居ても経っても居られなくて、シンの手を引っ張って歩く。向かった先は騒々しい音楽が流れる場所。
たぶん彼はそれを知らない、騙し討ちみたいだけど、どうしても撮りたい。欲しいんだ、二人だけの確かな想い出が。
適当に選んだ機械の中にさっさと入り、素早くお金を入れてフレームを選ぶ。画面に目をやりながら
内心は凄いどきどきしていた。ここで拒否されては目も当てられない。繋いだ手から汗が大量に出ているような気がして
そっちも気になるし……
フレームを選んでカウントダウンが始まった。毎回このカウントダウンは唐突だ。フレームの中で赤い顔をした私達が
ちょっと硬い表情で写ってる。ふと視線に気づいて隣を見上げるとシンと目が合った。目が合った途端に、恥ずかしいのか
斜め上を見上げて、誤魔化すように頭を掻いた。あっ、今の表情いいな
パシャッ!
抜群に空気を読んだプリクラ機は今の瞬間を切り取った。もうこうなったら大胆に行こう!
驚いた顔のシンの腕に抱きついて、カメラの方を向く。きっと今の私は最高の笑顔だ。
彼にとっては訳が分からない内に撮影は終わり、外で待ってて欲しいってお願いしてみる。
少し呆けた様な表情をした彼は、あっけない程に機械の外に出た。
落書きをする前に写真を選び、ペンを手にとって深呼吸。吸い込んだ空気は澱んでいたけれど、落ち着くには充分だった。
この落書きを見たらどんな反応をするのだろう? 受け入れてくれる? それとも嫌ですよって拒絶?
もしも……反応が後者であったなら、私はどんな顔をすればいいだろう?
でも、それでも……私は前者であって欲しい。まるで祈りを捧げる信徒の様に、いまはただそれだけを願う。
ただのプリクラの落書きになにを大袈裟なと人は思うかもしれない。
でもこんな小さな出来事ですら、私という小さな人間には祈らずにはいられない重大事件なのだから。
「なんです? このプリクラってのは?」
落書きを終えて機械の外に出る。退屈そうに佇んでいたシンはずっと考えていたのだろうか、開口一番に
疑問を私に投げかけた。
案の定この質問してきたシンに、どう答えたものか思案する。下手に言えば拒絶してしまうかもしれない。
私以上に子供っぽいところのある彼は、恥ずかしいからと嫌がってしまう可能性がある。けれどもそこで嘘をついてしまう程
私は図太くなかった。
「さっき撮った写真がシールなって出てくるんだ、にゃははは」
かたんと控えめな音を立ててシールが吐き出されてきた。まるで心臓がロックように激しく鼓動し、流れる血液は火傷しそうなまで
に熱く流れ、期待と不安をない交ぜにしながら全身を駆け巡る。ゆっくりと手を伸ばして、シールを見る。
確かにそこには私とシンが写っていて、どうしようもないほどに嬉しくて、哀れなほどに怖くて……
覗きこんだ彼とはっとした気配を感じ、赤くなった自分を自覚しながら視線を合わせる。
「あぁっもう! そんな風に見ないで下さいよ! ま、まぁデートって言えばデートっすから……」
思考が止まる、私の世界と時間が活動を辞めて、状況を理解したのは引っ張るように私を店内から夕暮れと夕闇の
間の街。ちょっと先を引っ張るように歩くシンの横顔を見ながら、さっきまでの胸の灯火は、いまや全身を甘く焦がしていた。
「もうこんな時間だよ! お母さんが心配するよ」
「そうだな、早く帰ろう。今日はシチューだといいな」
手を繋いだ兄妹の暖かい会話が、まるで氷の様に背筋を伝った。
その会話は、彼のかさぶたを充分に剥がすだろう。古傷はいつだって唐突に血を流す。ほんの些細なきっかけで。
でも、私は悲しい顔なんかしない。シンもそれを望まない。
だから明るく言おう、繋いだ手を引っ張って私は駆け出す。家に向かって。
家族を亡くし、故郷を捨てた彼に家なんて無い。
でもここにいる間は私の家が彼の家。私の家族が彼の家族。
仮初めの家に偽物の家族だけど、シンが笑えるならそれでいい。
でも……いつかきっと、それが本物になれたなら
そう願って振り向きながら声を張り上げる。通り往く人達に変な顔をされたっていい、大声で。
「さぁシン! 家に帰ろう、今日はシンの歓迎会だよ!!」
2
助手席でうつらうつらと舟を漕ぐ彼の横顔を見て、私は急に幸せな気分になった。
暗い高速道路は渋滞でのろのろと動く車達で溢れ、慣れない外回りは余程疲れたのだろうか、
今にも寝てしまいそうになりながら、それでも時折頭を振って必死に眠気を払う彼は可愛い。
寝てもいいよと声を掛けると、生真面目な顔をして大丈夫ですよと返してくる。
予想通りの答えに少し苦笑する私。隣がそんな様子だと、逆に気が散るから寝なさい。
たしなめる様に言うと少し考えた後で、分かりました、本当にすいませんと返してきた。
そう、お姉さんの言うことは聞くものだよ。
「本当にすいません、今度は俺が運転しますよ。あぁちゃんと免許取ってからですけどね」
「その時はお願いね、シン。その時は助手席で寝てもいいかな?」
あの日、あの小さな子が書いた未来の様に。
運転する彼の横顔を見て、隣に私が居て……
そんな小さな願い。
手を伸ばせば届くような願い。
でもそれが叶った時、私は嬉しくて泣いてしまうかも知れない。
「そうですね、俺の運転でよければ寝て下さい」
たぶんこの小さな願いは、そう遠くない未来に叶うだろう。
……でも、それは仕事として
「あぁそうだ、免許取ったらフェイト隊長の車を借りていいですか?
後の席は狭すぎるんで二人だけになっちゃいますけど」
小さく絞ったカーステレオの音声に混じって、声が最後の方は小さくなった誘いを受けた。
ラジオのBGMはどこかで聞いたようなラブソング。
のろのろ運転の渋滞で、追突しない様に注意しながら返事を返した。
「いいね、二人でドライブでもしよっか」
そう返事をすると、やっぱり照れたように少しだけ赤くなったシンは、静かに寝息を立て始めた。
白状するのなら本当は、高速が渋滞しているのは知っていた。
少しでも長く一緒に居たかった。
こんな小細工をする自分に軽い嫌悪感すらあったけど、今はそれなんて綺麗さっぱり無くなって、相変わらず流れるラブソングを私は上機嫌で聞いていた。
3
休日の昼下がりに、後ろに相方を乗せて、借り物のバイクで走り出す。
なんでもない休日。
街へと繰り出して買い物と新作アイスを段重ねにして遊んだ帰りに、私はふと思う。
たぶんあいつとなら、相方の様に後ろに乗せてじゃなくて一緒に走って行くと思う。
なんで私が後ろに乗らないのかって? だって私は……私が一緒に走りたいから。
緩い左の中速コーナー、私は減速してイン側に寄る。
ファーストインファーストアウト。二輪のコーナーの基本技術。
いくら上手いと言われてはいても、私はスピード狂じゃないしペーパードライバーじゃないってだけ。
乾いた音が背後から迫ってきた。時代遅れどころか化石の様なメカニズムを持つバイクだけが叫ぶ咆哮。
この広いミッドでも、この音を出すそれに乗っているのは余程の好事家か変人くらいな物だろう。
「うひゃ~! あれ曲がれないよ絶対!!」
相方が風切り音に負けない大声で叫んで、空いたアウト側をそれが走り去る。コーナーのギリギリでフルブレーキング。
グンッ! っとあいつの車体が前に沈み込み、暴れる車体を押さえ込むのが解かった。
そのままフルバンクしてあいつはコーナーを切り取って走り去った。
薄暮の道路で踊るテールランプを綺麗だなって感じて、それに付いて行くことを夢想した。
「ねぇ! あれ、シンだよね!?!?」
耳元でがなりたてるスバルに、私も大声で答えを返した。
「そうだよ! ってか耳元で大声出さないでよ!」
「ひえ~! ティアが怒ったぁー」
いつかきっと、あのテールランプと一緒に走れたらいいな、小さなあの子が描いた様に。
でも今は……一緒に走れない。
私はあいつに出会って生き急ぐのを辞めたけど、肝心のあいつは生き急いでいる。
いつか時間が、なんて言わない。私があいつの古傷を癒して、ちょっとだけスピードを落したら、その時は一緒に走ろう。
二人一緒で、どこまでも。
最終更新:2010年06月01日 21:27