血が混じった吐息を二つ三つ吐き出して、シンはその場からふらふらと歩き出した。その背後には一直線に走る破壊の痕。ビーム刃の熱の影響か、周囲でちらちらと小規模な赤い火が揺れる。
ふらふらと歩く。飛ぶことは無い。出来ないのか忘れているのか。それとも判断が付かないのか。歩みは止まらない。結局斬撃の痕で土砂に混じれて埋もれる者を、一度たりとも見やる事は無かった。
「ふ」
吐息が漏れた様な声。シンの歩みが止まる。
「あ――っはっはっはっはっはッ!!!!!!!」
底抜けに陽気な笑い声。戦闘の余波であちこちが掘り返され、土くれ色に染まった場。そこにまるで不釣り合いな無邪気な笑い声。
振り返る。それだけの動作の間にも複数の動作が連動する。背では翼が鋭い金属音を伴いながら顎の如く開く。身体の軸は中心でなく左腕が主体。安全装置を外れる音と同時にライフルの銃口がその相手へ向く。
シンの視線の先では起き上った萃香が地べたにあぐらをかいている。にやにやと笑いながら、空いた手で地面をバシバシと叩いていた。何かを堪え切れないといわんばかりに。
照準を。刹那の間に完了して発射、
する前に。シンの身体がぴたりと止まる。
「ああ、やっぱり気付いたね」
口調に含まれているのは喜悦。伊吹萃香は破壊の中心でぺたりと座りこんでいる。無事では無い。衣服は大半が焦げてしまっているし、直に触れていた腕から今も煙が上がっている。だが”それだけ”。当然のように人型を維持している。
「そうかそうか。なんとなくわかったよ。お前さんは闘いの”流れ”そのものを読む事にびっくりするほど長けてんだね。その場にあるもの全部見渡してる訳だ」
今だ固まる様に停止するシンに話し掛けながら、萃香はよっこらしょと立ち上がる。身体の土をパンパンと叩き落として、首を気鳴らしながら左右に傾ける。
「”我が群隊は百鬼夜行”」
萃香が謳う。シンはライフルを突き出したまま、視線だけ動かして周囲を見る。それは一言で言うと”群れ”だ。前方右方左方後方――シンを中心とした全方位に、大小様々な”萃香が居る”。丸い目、半月上に開かれた口。数は両手両足の指では足るまい。無数の萃香がシンをぐるりと取り囲むように存在している。
ぞん、と無数の萃香が踏み出して。その”輪”が一際縮まった。
「さあ!」
萃香が腕を振り上げる。無数の萃香がざわめいて、各々が愉快気に笑う。無数の笑い声が周囲に溢れ返った。縮まり続ける輪。充足していく力。張り詰め続ける空気。
「足りない99人を! 見事埋めて見せるがいいッ!!!!」
そして決壊が訪れる。
四方八方から迫りくる”萃香の群れ”。その総てが底抜けの笑顔であり、故に恐怖を煽る光景に仕上がっている。一対一だった筈の状況が、どう転じたのか今では一対百。
迫って来る軍勢を見据える。逃げ場がない以上、迎撃以外の選択は存在しない。ならば最適を実行するのみである。
金属音と共に左手で砲身が展開した。空へ掲げられるライフル。砲撃兵装へと流し込まれるエネルギーがその砲身の中で熱弾を構成する。唸りを上げつつ砲身がその温度を上げていく。再度の金属音。砲の先端に位置する銃口が上方向へ傾いた。そして、現時点で既にシンの身長とほぼ同等の長さのある砲身が”もう一段階”展開する。
――ケルベロス42、最長展開。
唸りが加速する。過熱も加速する。砲身の中に力が蓄えられている事を示すように、不規則に迸る放電が空気を焦がす。月を背に、空へ掲げられる長大な砲身。解放(咆哮)の瞬間を求めるかのように、熱量を滾らせていく。
大剣は傍らに突き立てられている。開いた右手で展開したサブグリップを握りしめる。左腕を振り下ろす勢いで水平――腰だめの位置に。
砲身自体は細長い。だがそこから解き放たれたもの(閃光)はその比では無い。夜を押し退けるのではなく塗り替えるかのように。兵装が出力出来る限界の熱量と圧力が一切の遠慮停滞なしに吐き出された。
発射方向は前方。本体の”萃香”に当たったかどうかは視認できない。砲光が強過ぎて視界が悪い。それは今置いておく。この攻撃の本位は、状況を少しでも有利に傾けることのみに尽きている。
両脚を踏み締めて、腰だめに構えたままの長砲を、砲身から業火を吐き出し続けるそれを、身体ごと横に”回転”させる。
シンの身体が回る。構えたケルベロス42も回る。そして発射されたビームも回る。横一文字に薙ぎ払われる風景。シンをぐるりと囲むように点在していた大小無数の萃香達が、光の奔流に飲み込まれていく。総てでは無いが、数自体は明らかに減っていく。
一回転し終えるか否かの辺りで光の奔流が終了する。シンを中心として円環状に燃え盛り削れ落ちる風景。黒煙が視界を著しく奪っている。
そうして、輝砲の暴虐をさも当然のように通過して、鬼の軍勢が進行してくる。黒煙を突き破って迫るは子鬼の群れ。
流石に総数では無い。だがそれでも三十は優に超えている。右手で握り直した大剣を力の限り振り回す。刀身に奔る熱量の刃。今まさにシンに到達せんとしていた”萃香”の一団が数体まとめて吹き飛ばされた。
その行動の間を突く様に、上から”萃香”が降って来る。両膝からビームサーベルが噴き出した。大剣を握る手を視点として、身体を思い切り捻りながらの斬撃同然の蹴り。熱量に焼かれて散る”萃香”。
逆方向から新手が迫る。ライフルはとうに最短まで折り畳まれている。接続アームの可動音と共に、シールドの裏側に取り付けられていた刃が飛び出す。銃剣の体裁。突き出された銃器にまた別の一団が吹き飛ばされた。
四肢をフルに使った迎撃。しかし”萃香”は未だ無数に残存する。ガラ空きになったと思しき背後から、また新たな”萃香”が肉薄する。
完全に虚を突いたに見えるそれも、シンは最初から”知って”いる。
背中の翼が目一杯開いて”閉じた”。迫る”萃香”がまとめて挟まれる――獣の口が獲物を咥えこむ様に。その状態で光が噴いた。顎に捉われた餌が、光圧推進の圧力に噛み砕かれる様に潰される。
右手の大剣、その刀身に纏う光が勢いを増す。大剣を突き出したままその場で旋回。周囲の萃香が暴虐に巻き込まれて散り散りに吹き飛んで行った。そしてそれを投げる。
回転の最中に得た勢い。それを余すところなく注がれて投擲されたAアロンダイトが、進路上の”萃香”を総て引き千切る。
そうして、今まさに黒煙を突き破って出現した萃香に直撃した。
「――だ、ッ!?」
無数の群隊から少し遅れ、今まさに戦列に加わらんとしていた本体の”萃香”。それが圧倒的な速度と熱量を持った砲弾の如き斬撃によって阻まれる。
シンは空中で叩き落とされる形になった萃香には視線を向けず、左肩からFE2を引き抜いた。熱刃が赤い軌跡を描いて、また数匹”萃香”が散る。
数という名の暴力が、より強い暴力で上塗られる光景。
左手のライフルの零距離射撃で一体が粉々に吹き飛んだ。膝のサーベルでの蹴りと、右手の斬撃が空中に無数の赤い軌跡を描き続ける。背中から時折り噴き出る翼の形をした光は、撃破とまではいかなくても新手を押し退ける。サーベルはブーメランとなり投擲される。右腕の手甲から光弾が吐き出される。
Aアロンダイトを押しのけて、大本の萃香が肉薄する。数十センチ急上昇。そして急下降。真下に居た萃香を地面に埋めるかの如き勢いで蹴り込んだ。ガードされる。そこを踏みこんでより高度に上昇。展開。下方に向けて照射。萃香はその場を跳んで逃れて、逃げ遅れた”萃香”は消し飛んだ。
ある意味――いや間違いなく異常な光景。数十に対してただの一が拮抗どころか侵攻している有様。本来不利である筈の勝数が本来有利である筈の多数を駆逐していた。
万象がそうであるように、この理不尽ともいえる光景にもタネはある。
――狂気に負けない為に、
伊吹萃香はシンが”闘いの流れを読んでいる”のだと言った。
それは正解ではあるが不足である。
実際は読む、というよりも想定している。起こりうるであろう未来を可能な限り夢想して、その対応策を想定している。
その感覚の始まり、その原因の一つにシンの戦いに対する姿勢が様変わりした事がある。それまでは戦って敵を倒す。それだけが目的。ただその時期を境に、そこに生き残る事も追加された。
その二つの両立は一見可能に見えるが、実際はそこまで容易では無い。シン・アスカ個人の考え方として、最初の目的だけならば自身を省みる必要が無いからだ。端的に言えば特攻して敵と刺し違えてもその目的はしっかり完遂された事になる。
けれども新しく増えた目的はそれ(自暴自棄)を許さない。そもそも戦闘から離れないという考え方を持っている時点で、その新しい目的を掲げる事自体が異端である。戦いで死なない為の最上の手段はいわば”戦わない”事に尽きる。銃撃が飛び交う戦場でそんな目的を絶対として掲げる方が間違っているといえよう。
けれどもシンはどちらも諦めなかった。戦争から逃げる事も、命を捨てる事も、そのどちらも。それは酷く暗い感情が基盤ではあったが、ともかくその二つは両立されて実行される事となった。
敵は倒し、かつ生き残る為の戦い方。それを突き詰めた結果が絶対命中と絶対回避。
攻撃は的確に当てる。それは敵を倒すという目的を遂行する為に必要な事。
攻撃は完全に避ける。それは生き残るという目的を遂行する為に必要な事。
そしてそれらを両立させる為にシンが選んだ手段が想定だった。当てられる的にしろ、避けられる攻撃にしろ事前に精神の準備があるとないとでは反応速度に僅かながら差がある。実際は一瞬の前後ではあるが、戦場という地ではその時間は致命的である。
だから考える。考えて考えて考え続ける。一瞬も止まる事なく考え(妄想し)続ける。
何処を狙えば的確か、そのためにどうすればいいかに思いを馳せながら引き金を引く。
次に相手が何をしてくるか、いかなる手段を用いて自己を殺害してこようとするかに思いを馳せながら空を翔ける。
その為には識らねばならない。戦場に存在する無数の障害物、敵の位置、味方の位置、自機の武装、敵の武装、機体の特性、戦況の具合。ともかく総てを。
当てるにしろ避けるにしろ、相手の考え方は重要になって来る。どちらに避けるか、何処を狙うか。相手の武器、相手の機体、相手の戦い方、相手の思考。眼前の相手が、どうやって自分を殺そうとしてくるかをそれこそ無数に妄想する。
”頭の中で千回殺されて、現実で一回殺す”。
――狂気を識って、
当然そんな馬鹿げた戦闘理論がそう簡単に構築される筈も無い。ただ幸か不幸か、その世界はそういった感覚を育てる場が多かった。そういった経験を得られる場が多かった。
そして頭角を現し始める絶対命中と絶対回避。回避後の位置に飛んでくる攻撃。回避が始まるのは発射の前。馬鹿げた理論はもっと馬鹿げた速度で成長を続け、結果として馬鹿げた戦い方が現実になっていく。
確実になっていくという事はその感覚が成熟しているという事でもある。故に頭の中で”先”を妄想する部分は回転速度を上げ続ける。より他種多様の最悪最高を想定できるように、どんどん成長(過熱)していく。
そうして何時の日か脳髄が異常をきたしたのは、現実離れした感覚が及ぼした想定外の結果だったのか。それとも強迫観念を原動とする故の当然の帰結だったのか。
――テーブルの上に置かれたペンが首筋を狙ってきたらどう叩き落とせばいいか妄想する派生ペンが存在する全位置を把握する。映像の出力装置始め電化製品が突如爆発して破片が自分を狙ってきた時どう避けるか妄想する派生電気製品の全位置把握派生最もその可能性の高い物の把握。天井が落ち巨大な瓦礫が降って来たならてきならどう脱出するか妄想する派生破片のサイズの際の行動をそれぞれ無数に用意する。壁を破壊して襲撃者が現れた際の撃退方法を妄想する派生その襲撃者が刃物を主としていた場合の迎撃方法の選択派生その襲撃者が銃器を主としていた場合の迎撃方法の選択派生単独犯の場合複数犯の場合――
何時の間にか”世界総てに恐怖している”。
曖昧になった境界は戦闘とそれ以外。ただそれだけだがそれで総てが狂った。日頃の生活の中でも安全が保障されていなかった事も影響してか、その感覚が止まる時間は日を追うごとに短くなっていき――そしてある日零になった。一度可能性に気付いてしまえばも
うそれを切り捨てるなど出来はしない。だから見える全てに怯え続ける。一分一秒の油断も無くただひたすら愚かで滑稽なまでに事象総てに恐怖する。恐怖という名の火で加熱した脳髄の回転はそれの対応策を無限に吐き出し続ける。そして回転を増した脳髄は新たな恐怖を取得する。それは最悪の悪循環。脳髄の中で”何時までも終わらない”という形で完結する負の連鎖。。
歪んだ帰結をして、歪み続ける世界を命をかけて生き抜いた少年の果て。
人間の身でありながら幻想に匹敵しうるまでに成ってしまった少年の中身。
――そして別の狂気になった
これが、その種明かし。
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とりあえず頭が痛い。
シンが目を覚ましてまず思った事がそれだった。ズキズキというかガッツォンガッツォン響くような痛みが頭で騒いでいる。
場所は博麗神社の居住スペース――まあ要するに居間だ。来た時よりも格段にちらかっているが、その場所である事に変わりは無い。視界はきっかり90度傾いている。横になっているからだろう。時計の類は持ち合わせていないので現在時刻は不明。だが日差しの気配が感じられないから、朝は来ていないと推測する。感じている気温は意識を失う前よりも低い。シンの勘だが丑三つ時手前辺りだろうか。
記憶が無い。酒を注がれて(あれは飲むとは言わない)から意識がプッツリと途切れている。即時潰れて寝てしまったとかならいい。ただ酔った勢いで何かやらかしていないか少しだけ不安になるシンだった。
「――えい。えいえい」
声が聞こえたので目を動かす事で視線を動かす。そこに居る事は起きた時から知っていたが、声をかける必要が無かったので声をかけなかっただけだ。
視界に入るのは八雲紫。隙間に潜む妖怪。妖怪の賢者。楽園が楽園であるために必要な結界、その守護者にして管理者。
シンが八雲紫に対して抱く印象はよくはない。というか存在の”質”が違い過ぎるために、本能的に拒否反応というか危険信号の様な物が発生する。ただ嫌いという程でも無い。それらの印象はあくまで要素であって、要因にはなり得ない。
「うにー」
何やってんだろうかと心中だけで。件の八雲紫は博麗霊夢の頬を指先で突っついていた。紫の膝の上には霊夢の頭が横向きに乗っている、要するに膝枕だ。霊夢の顔はシンからはよく見えないが、突かれるたびに小さな声を上げていた。霊夢が潰れて転がった先に膝があったのか、潰れて転がったから膝の上に持って来られたのかは知らない。
くだらない考えを脇に押しやりつつ、起き上がろうと試みる。寝ている理由が無いからだ。しかしながらどうにも身体の反応速度がよろしくない。考えるまでも無く酒の所為だろう。とりあえずこのままの状態で感覚を復旧させる事にした。
「………………」
別に傾注していた訳ではないが、そこに居る限りシンの脳髄は事象を把握する。視線の先では紫がいまだ霊夢を突いていた。
その表情は笑顔全開幸せ満開といえるだろう。紫は基本笑顔だが、常に『胡散臭い』、『何か企んでいそう』とか、そういう感じの笑顔だ。ただ眼前の光景はそのれらとは趣が違う。心底満たされているというか、とにかく幸せが滲み出ていそうな笑顔だった。そこに大妖としての威厳といった物は感じられない。それだけ嬉しいなり幸せなのだろう。
それにしても紫が――年頃の少女っぽい挙動をしている事の違和感が凄い。別に似合っていない訳ではなく、むしろ思いの外似合ってはいるのだが。こういうのをギャップというのだろうか。
「……霊夢は本当に何時も何でも一人でやってしまうわね。もう少し甘えてくれてもいいのだけれど」
笑顔が微笑に変わって、つつく動作が撫でる動作に変わる。霊夢の黒髪を、まるで壊れ物を扱うように撫でながら、紫が静かに呟いている。その仕草は容姿相応、いや容姿と相まって酷く慈愛に溢れている。
その様子を見ていて脳裏に浮かぶ一つの関係。思わずというか、何となくにその連想した単語を言葉にして口から出していた。
「そうしてると親子みたいだな、あんたら」
「――――――」
話かけたのはまずかったかと少し思って、まあいいかと思い直す。シンが起きている事に気付いていなかったのか、それとも気付かない程に夢中だったのか。理由はさておいてシンの発言は紫にとって完全に予想外な物だったらしい。肩が僅かながら跳ねあがって、その表情が強張った。そのまま硬直しているので、シンは身体を起こす事にした。
たっぷり十秒経っただろうか。紫が傍らに開いた隙間から扇子を取り出して――つかみ損ねて一回取り落とした。あわあわとそれを拾い直して、開く。
「――――あら。お目覚め?」
「……無理無理」
口元を扇子で隠し、余裕ありげな笑み。一般的に広く知られる八雲紫の画である。たださっきまでの光景を見ているせいか、威厳は五割減だった。
頭をガシガシ掻きながら、首を左右に動かす。ゴキバキベキとえらく威勢のいい音が鳴った。軽く回した肩も同様に音が鳴る。
「………………」
「視線に殺気こめるの止めてくれよ。別に言いふらしたりしないって」
紫の扇子を持つ手がギリギリと鳴っている。表情は笑顔のままだが、その瞳には鋭い光が宿っているのが容易に見て取れた。なんか今にも口封じされかねない様子である。
「……アンタ本当こええよなあ。さっきのが嘘みたいだ」
呟きながら立ち上がった。『さっきの』辺りで殺気が数割増した気がする。若干ふらついたが、そこまで酷くも無い。立ちあがって、改めて身体の各部を動かす。問題無し。
相変わらずシンに突き刺さるよな視線を送って来る紫はひとまず置いておく。
部屋から出て、少し離れた部屋を目指す。目的のものは直ぐに見つかった。通りがかった所を大掃除なり模様替えなり手伝わされる事がある所為か、博麗神社内の物品が以外に把握できていたりする。
用事を終えて、再度居間へと戻る。
「ほら」
持ってきた毛布を霊夢の上に掛けた。ここで初めて霊夢の顔を見た訳だが、無防備というか力の抜け切った顔だった。さっき連想した単語が頭の中にもう一回浮かぶ。それからもう一つ。紫の後ろに回って半纏を肩に掛けるようにして被せる。
「あら、気が効くわね……でも私が妖怪だという事はおわかり?」
「俺の気分の問題だよ。嫌なら脱げ。脱ぎ捨てろ……あー、あと布団は敷いといたからそいつ寝かすなら適当にな」
寝室の方をぴっと指さしつつ。そして次の目的地は再度部屋の出口。今度は別の部屋に行くのではなく、ここ(博麗神社)から出るために。元々頼まれ物を届けに来ただけであって、留まる理由は無い。
「気分、ねえ。容姿に惑わされる様な平穏な心理を持っていない貴方が言うと、ある種の笑い話ですわね」
「…………」
後ろからなんか聞こえてきた。ちょっと頭に来たので神社中の半纏とか毛布とか集めてきて、あの妖怪をきぐるみの如くもっこもこにしてやろうかと思いつく。
止めた。そんな事すれば後日確実に酷い事になる。”この場”では大丈夫だろう。シンの推測でしかないが、今この場で紫は事を荒立てたり騒いだりはしそうにない。霊夢があの場所で眠っている限りは。
「じゃあ、そういう事で」
「あら。こんな夜更けに何処かへお出かけ?」
「どっか行く」
「そう。目的地は無いのね」
「ここに居続ける理由も無いだろ?」
「ねえ貴方」
二言三言交わして部屋から出ようとした直前。その言葉に足を止める。首を少しだけ傾けて後ろを見やる。紫と目が合った。
「人間のままでいたいのなら、在り方こそ人間のままでいなさい。人間は群れたいから群れるのじゃあない。元々そういう生き物だから群れるのよ」
「……うん? 別に他人を跳ねのけてるつもりは無いけど。俺が独りが好きというか、こういう生き方してるってだけだろ」
「それこそが問題なのだけれどね。前提として、世界では人間が”独り”で生きていけないようになっているのよ」
「一人で生きていけるってほど自惚れてるつもりもない。顔見知りならそこそこいるし、友達だっている」
「でも縋れる相手は未だに一人も居ない。貴方の定義の話をしているのではなく、人間と
いうものそのもの定義の話をしているのよ。いくら他者から必要とされても、自身が他者を必要と思わなければその関係は所詮一方通行。人間の定義での正当にはなりえない。器と心が人から離れ始めているのは今に始まった事じゃないようだけれど、中身が変わってしまうと本格的に歯止めが利かなくなるわよ」
「はあ。よくわかんないけど、えーと……ご忠告どうも?」
「その様子だとよくわかっていないわね。まあいいわ、片隅にでも留めておきなさい」
呆れた様子の紫の言葉を聞きながら、今度こそ部屋を後にした。廊下を特に音も立てずに歩きながら、さっきの会話の内容を反芻する。思い出してみて思うのだが、紫は一つ勘違いをしている。
「……別に、そこに拘り持ってるつもりは無いんだけどな」
シンには現在最上最優先の命題が一つある。そんなに大したものでもない、結果的に目標――とも少し違うが、最終的なゴールとその過程を大まかに決めている程度だ。
そしてそれを行うのに、シンが”人間のまま”である必要は別に無い。幻想郷には人間が人の枠を超える術がいくつも転がっているが、もしシンがそれらで人の枠を外れても致命的な問題は発生しない。
だが逆に人間を止める理由も無い。別に長生きしたい訳ではないし、これ以上強くなりたい訳でもない。むしろそういう方向性はあまり好ましくない。そういう風に考えると、さっきの紫の言葉は『お前は今望まない方向に進んでいるから考え直せ』とも受け取れる。
「他者を必要と思え、ね」
その言葉の意味を考える。答えは直ぐに出た。だからこそ、その結果を放棄する。ズボンのポケットに手を突っ込み、首をすくめる。
一応、案じられたという事になるのだろう。素直に受け取れないのはシンが捻くれているからか、それとも紫の普段の振舞いの所為か。ふいにさっき見た光景から、頭の中に思い浮かんだ言葉があった。既に部屋からはそれなりに離れていたから、ちょっとやりきれない部分を解消するためにも皮肉っぽく呟いてみる。
「……余計なお世話だ、紫お母さんめ」
ズドォン! と静寂を引き裂く轟音を伴い、壁から道路標識が横殴りに飛び出して来た。シンは『ゆ』の時点で既に身体を落とし始めていて、言い終わる頃にはしゃがむ位に体勢を低くしている。故に凄まじく正確にシンの首を狙った標識の一撃は大外れという結果に至った。
「………………ぅぉーぃ」
頭上を見上げると壁から道路標識が生えるという何かシュールな光景が存在していた。回避が遅れていたら間違いなく首と胴体がさようならしていた気がする。というかしていただろう。冷たい汗が背を伝っていくのが解った。
ただそれは当たればの話。現状、シンは攻撃が始まる瞬間に既に回避の為の動きを始めていた。故に”命中”は、有り得ないまではいかなくとも限りなく低い。来ると解っている攻撃が避けられないのは極稀なのだから。日常の中でも一切構わず稼働し続ける脳髄の過熱した部分は、その程度(高確率回避)を可能にする。
その感覚が働き続ける事に悲しめばいいのか、それともこんな事が茶飯事になった日常を嘆けばいいのか。少々判断に困るところだった。
◆◆◆
鬼の群隊が無慈悲に蹴散らされる。
攻撃の音はその間がどんどん短くなっていき、もはや一つの轟音の様になり果てていた。
「ふーむ」
自身の群隊が蹴散らされている中で萃香が一息漏らす。現在本体の萃香は戦列に加わる事なく、少し離れた位置で闘いの様子を眺めていた。
つい先ほどまでは戦列に加わっていたが、そのどれもが避けられるか潰された。そもそも無数にいる”萃香”ですら一撃足りとも満足に当てられていない。
視線の先では少年が両手両足の武装を酷く有意義に振り回していた。萃香へ投げた筈の大剣は何時の間にかその右手に戻っている。途中にどうにかして回収したのだろう。
「面白い」
さて、果たして現在どちらが有利なのか。
画だけ見るならば間違いなくシンの方が有利に見えるのだろう。確かにシンは無数の敵を一方的に蹴散らしている。
けれども、その”撃破”は結局萃香の一部分でしかない。あれは所詮萃香の欠片でしかないのだ。故に数十が削られようともそこまで大きな影響がある訳ではない。
一方のシンは攻撃をそれこそ無数に萃香に叩き込んでいる。だが決定打を入れられている訳では無い。それに攻撃が当たらないという事は、その攻撃が当たってはいけないと認識されているからに他ならない。シンの”一撃”は萃香にとって脅威とまではいかない。だが萃香の一撃はシンにとって紛れもなく”脅威”である。
「心底」
傾いているかに見えるパワーバランスは、見た目とは”逆”側に傾いている。
優勢に見える方は、今この瞬間にも限界を壊して全力を更新し続けている。
劣性に見える方は、此処に来て一段階引き上げる事を決めていた。
轟ッと突風が吹いた。萃香の小さな身体から奔った不可視の力が周囲の木々や雑草を弄ぶ様に吹き荒ぶ。
突発的に発生した小規模の嵐の中心で、口の端を吊り上げて笑う鬼が一体。
「――面白い」
闘争が、本格的に幕を開ける。
最終更新:2009年12月21日 01:51