<宴の夜に 前編>
「……何もなし、か」
くしゃっ、とレジェンドの手の中でメモが握り潰される。
エンフィールドの北、雷鳴山の森の中。そこがダークダガーから渡されたメモに記されていた座標だった。
正確には何もなかったわけではない。明らかに獣ではない足跡や焚火の跡など、しばらくの間何者かがここにいたことを証明するものはわずかにだが残っていた。
だがそこまで。それらのものから何かが分かるわけでもなかった。
そこにいた者が何物なのか、そしてどこへ行ったのか。そういった肝心なことは何も……
「ちっ」
苛立たしさが舌打ちとなって現れる。ある程度の覚悟はしていたつもりだった。だがここまで何の収穫もないということが屈辱だった。
シンたちを裏切り、ダークダガーに協力をしてまで手に入れたものがこの結果か。
(――落ち着け)
一度大きく深呼吸をする。苛立ちがゆっくりと潮が引くように薄れていった。
今さら後悔をしても仕方ない。今はこの状況から少しでも何か得られるものを探すべきだと自身に言い聞かせる。
「……焚火、か」
発見したときから気になってはいたものだった。
これが自身の追う者が用意したものであることは疑いようがない。ダークダガーの情報ではしばらくここを拠点としていたらしい。ならば不自然ではないのだが、それでも疑念は拭えなかった。
「ん……?」
焚火の近くにある足跡をじっと観察する。
大きい。まず『奴』のものではないことは確かだった。
「これは……人間の?」
足跡だけではほとんど何も分からないが、少なくとも人型の生物のものであることに間違いはない。
つまり、『奴』はここで人間――もしくは亜人――と会っていた、あるいは今も共に行動している可能性があるということになる。
雷鳴山の周りには凶暴なモンスターがかなりの数生息している。こんなところで会うということは余程腕の立つ者か、相当な訳有りということになる。
ここから推察できる可能性は二点。
ひとつは『奴』とこの人物はそれなりに友好的な関係であるということ。そうでなければ共に焚火を囲むようなことはしないはずである。協力者であると考えていいだろう。
そしてもうひとつ、行方をくらましている『奴』は、
「……今、この人物に匿われているかもしれない、というわけか」
夕闇に染まりかける森の中で、レジェンドは謎の人物の足跡を冷たい目で見つめていた。
エンフィールド北側の街外れにはひとつの屋敷がある。
古びた東洋風の佇まいとやや荒れた周囲の様子に気味悪がってか、街の住人は滅多にここに近づくことはない。
誰が住んでいたかは知らないが、空き家となったせいで一層不気味さを増したせいで幽霊が出るとまで言われているほどだ。
――まぁ、実際には二人の獣人と最近になって増えた二『体』が勝手に住みついているわけなのだが。
「テーレッテー、πを取り戻せ! あれ、なんか違ったか。はて?」
酒瓶を大量に抱え込んだストライクフリーダムが首を傾げる。うろ覚えに口ずさんでいた歌に引っかかりを覚えたらしいが、それに指摘をする者もツッコミを入れる者もその場にはいなかった。
その代わりとでも言うように、そこにメイド服に身を包んだネコミミの少女がやってきた。
「ふみぃ? ちいおねーちゃんどうしたのー?」
「おやメロディ。いやね、乳は揉み捨てるものじゃないってことさ。おーけー?」
「ふみゃあ! ぜんぜんわかりませーん」
「ははは、こやつめ」
尻尾を振りながら笑顔を浮かべる少女の頭にていっと軽くチョップをする。
痛みもないとはいえ、叩かれても嫌な顔ひとつ見せずニコニコと笑っているメロディの背後から、屋敷の今の主が現れた。
「メロディ~? そっちはどう……あらまあ、なかなかいいカンジになってるじゃな~い」
ふさふさの尻尾と狐耳を揺らしながら、獣人の女性――橘由羅は満足げに部屋を見渡す。
いつもは空の酒瓶が床の畳が隠れそうなほど転がっている居間ではあるが、珍しく綺麗に片づけられていた。
中央に置かれたちゃぶ台にはストライクフリーダムが持ってきた酒瓶が置かれているが、そのどれもが未開封のままだった。酒豪二人が住まうこの屋敷に貯えられていたものにしては相当レアなものである。
それもそのはず、特別な日以外には絶対に開けないという暗黙の了解が二人の間にあったからだった。
「結構時間はかかったけどねえ。で、そっちは?」
「う~ん、ちょっと手間取ってるみたいね~。やっぱりまだ慣れてないみたいで」
「あちゃー……ま、いつものことといえばそうなんだけどねー」
「メロディがおてつだいするー?」
「いや、いいや。もう助っ人は呼んでるし。今日はメロディも楽しむ側でな」
「はーい!」
メロディがそう答えたときを見計らったかのように、屋敷の扉がノックされる。由羅の「開けていいわよ~」
という許可の後、ゆっくりと扉が開かれた。
「頼まれたもの持ってきたぞ」
「「ゆっくりしていってね!!」」
「しない。すぐ帰る」
何やら酷くむかつく顔になった由羅とストライクフリーダムに即答しつつ、シンは両手で抱えていたケースを部屋に置く。並べられた酒瓶がその衝撃で音を奏でた。
「むう、つれないなあ少年」
「相変わらず可愛げってものがないわね~」
「うるさい。お前ら二人が揃うとロクなことにならないってのはもう分かりきってるからな」
ぶーぶーと口々に文句を垂れるストライクフリーダムと由羅にシンはピシャリと言い放つ。
ストライクフリーダムに関わってしまったばかりに牢屋に閉じ込められたこともあるのだからこの拒絶も当然だろう。
「じゃあ追加の依頼だ! 今日の宴のために私らに料理を振る舞ってくれい!」
「人の話聞いてたかっていうか余計に面倒なことになってるだろ!?」
「あ、材料はちゃんとこっちで用意してるから」
「だから人の話を聞け!」
絶対にノゥの姿勢を微塵も変えないシンに溜息を漏らしつつ、ストライクフリーダムはふよふよとシンの目の前まで近付いた。
「どうしてもダメ?」
「駄目だ」
「――引き受けてくれなかったら明日から毎日のよーに朝から晩まで店の前で罵声と卑語を巧みに織り交ぜつ
つシンについてあることないこと喚きまくっちゃうぞ? みさくら語に翻訳して」
――コイツ、なんて恐ろしいことを……!?
シンは絶句した。やると言ったらやるという「スゴ味」を湛えたストライクフリーダムの目が一番恐ろしかった。
「ふみゃあ? 「みさくらご」ってなーに?」
「それはねメロディ……」
「よい子は知っちゃいけません!」
メロデイに耳打ちしようとする由羅を強引に引っぺがす。
いろんな意味で危険な臭いが漂ってきた流れに顔を両手で覆いたくなる気分になったシンだが、やがて観念したように首を縦に振った。
「……わかった、やる」
「あ~~~聞こえんなあ?」
耳が悪いと判断したシンは返事の代わりにその頭を叩き落とすことにした。
「ぐ、おお、お……ちょっとしたお茶目に対してなんたる仕打ちを」
「やかましい。そんな世紀末獄長風味なお茶目があるか」
呻くストライクフリーダムを見下ろしながら、引き受けたのを若干後悔していた。もはや後の祭りだが。
「あれ? そういやデス子っちは?」
「ここに来るって聞いただけで部屋に閉じ籠ったよ。絶対にお前には会いたくないってさ」
「馬鹿な!? それでは私はいったい誰のおっπを揉めと!?」
「揉むな。で、俺一人で全員分のを作れって? できなくはないけど時間かかるぞ」
「それについては大丈夫よ~。あの子もいるから」
あの子? と聞こうとしたところで台所から一人の少女が顔を覗かせた。
「おい、助っ人とやらはまだ来ないのか? これでは時間、が……」
「あ」
シンはその姿を見て思わず声をあげる。
――フリーダム。
かつて自分を殺そうとしたMS。
そんな相手を前にシンが警戒すらしなかったのは、その格好に目を奪われたからだった。
――メイド。
そうとしか形容する言葉が見つからない。
肩のアーマーを覆うフリル、身体の動きを阻害することなく装備されたスカートやエプロン。頭には当然と言わんばかりにこれまたフリルの付いたカチューシャが乗っていた。
MSの名残のある部分の干渉することなく飾り立てられた衣装は、服と言うよりもパーツに近かった。
だがそれだけで全体の雰囲気が柔らかくなり、剣呑さも薄れむしろ可愛さを主張させている。シンが呆けたように見つめてしまうのも無理もない話だった。
「シン・アスカ……」
それも、
「殺す!」
相手の殺気がなかった場合に限る話だったが。
「うおおっ!?」
反射的に上体を仰け反らせる。首のあった場所にビームの刃が通過したのを目の当たりにして今さらのようにシンの背筋に怖気が走った。
「ちょ、ちょっと待て!」
「誰が待つものか。ここで会ったが運の尽きだ、今すぐこの場で殺ひゅ!?」
逃げ腰のシンにサーベルを振り上げ襲いかかろうとするフリーダムだったが、背後に忍び寄ったストライクフリーダムに口の中に指を突っ込まれ横に広げられたことでその行為を中断させられた。
「にゃ、にゃにをしゅる!?」
「はいはい落ち着けー。今日はそういうのは禁止だぞ、とあんだけ言ったろーに」
ぱっと手を放し、すぐさまフリーダムの足を引っ掛けて転倒させる。一連の鮮やかな流れにシンは思わず感心してしまった。
「くっ……だが相手がこいつなら話は別だ! 私は私のことを優先させてもらう!」
「あーそうかいそうかい。だけど悪いね、その自由は認めさせられんよ」
そう言いながら、ストライクフリーダムは懐からスイッチのようなものを取り出した。
「ってことで、実力行使させてもらうよ」
スッと少女の目から温かみが消え、一切の躊躇もなくスイッチが押し込まれた。
――直後、
「ひぅっ!?」
ビクンと身体を震わせ、フリーダムが床に落下する。
小刻みに震えながら身体を抱えるようにうずくまるその姿にシンは反射的に駆け寄っていた。
「お、おい!? 大丈夫……」
「ち、近づくな……ひぁっ!? あぁっ!」
頬を上気させ、目尻に涙を浮かべながらも伸ばされた手を払おうとするも再びフリーダムは身体を震わせる。
何が起こったのかさっぱり理解できないシンの背後でストライクフリーダムが黒い笑みを浮かべていた。
「クックックッ、ずいぶんとしおらしくなったじゃあないかマァイシスター」
「き、さま……私の身体に何を……!?」
「すべてはそのメイド服にあり!」
ビシリとフリーダムが身に纏った服を指差し、誇らしげにストライクフリーダムは語り始める。
「入念な検査の結果発覚したマイシスターの全身12個所に存在するウィークポイント――もちろん性的な
意味で――! そこにジャストフィットするようにメイド服にバイb、もとい低周波発生装置を仕込んだのだ!」
「な、何!?」
「そしてこのスイッチで振動の強弱や起動箇所を指定できるのだ! 嗚呼! 我ながらなんという素晴らしい
ものを作ったのだろうか! ククク、フハハハハ、フゥーハハハハハハハハァ!!」
――悪魔だ、悪魔が目の前にいる。
シンは冷めた目でストライクフリーダムを見つめるしかなかった。
だが次の瞬間、高笑いするストライクフリーダムの隙を付いてフリーダムがスイッチを奪い取った。
「ぬぉっ!? しまった!」
奪い返す暇もなく、スイッチはフリーダムの手に握り潰され破壊された。恐ろしい握力だった。
「はぁ、はぁ……これで貴様の思い通りにはなるまい。さぁ、今度こそ覚悟しろシン・アスきゃうっ!?」
再び殺意の籠った視線を向けてきたフリーダムがこれまた再び身体を震わせた。
「ば、馬鹿な……なぜ?」
「あー、しまったしまった。すっかり言うの忘れてたよ、スイッチはひとつじゃないって」
「く、そ……!」
震える手でスイッチを掴もうとするフリーダムから距離を取り、さらに凶悪な笑みを浮かべながらストライクフリーダムはスイッチを操作する。
「さぁ、さっきは4箇所しか起動してなかったが今度はどこを責めようか? ほれほれ~これ以上痴態を晒した
くなかったら「シン・アスカには手を出しません」と言うがいい。言わないとじわじわと振動強くしちゃうぞ~?」
「く、あぁっ!? やめ……ああああああっ!!」
息を荒げながら床をのた打ち回るフリーダムの姿に、シンはわずかに顔を赤くしながら目を逸らした。
「おや? 少年の目には毒だったかねーやっぱ」
「……お前、やっぱり悪魔だな」
「多分褒められた!」
「褒めてない」
呆れながらシンはメロディと由羅に視線を移す。あれだけ騒いだというのにいつも通りの二人だった。
「ねぇおねーちゃん、なんでフリーダムちゃんはたおれちゃったのー?」
「それはねメロディ、女の身体にはいろんな秘密があって……」
「よい子は聞いちゃいけません!」
訂正、余計な知識を吹き込もうとする駄目獣人がいた。
――数分後、蚊の鳴くような声でフリーダムは降参した。
「……貴様を許したわけではないからな」
「分かってるよ。それより、その、大丈夫か?」
「何がだ?」
「えっと、身体の調子、とか……いろいろと」
「っ、貴様が気にすることか!」
「あー、うん。なんかごめん」
屋敷の台所にて、シンはフリーダムの隣で仕込みをしていた。
ちなみに飲兵衛どもとメロディはすでにどんちゃん騒ぎを始めている。先の騒ぎで鎮静化したとはいえ、火を投げ込めば爆発しそうなほどの空気に満ちた台所との温度差にシンは軽く目眩を覚えた。
「にしてもいきなり「それでは早速おでんを所望する!」とかどんな無茶振りだよあいつ……」
「文句を言う前に手を動かせ」
「はいはい……っと、貯蔵庫はどこだ?」
「床下だ。そこに扉がある」
「えーっと、これか。よっと……おい、なんだこの量は」
貯蔵庫の中を覗き込むと、野菜と燻製された肉、そして桶に入れられた魚が大量に保管されてあった。
「知らん。ストライクフリーダムが勝手に集めてきているとは聞いたが」
「それにしたってこの量は……って鯛!? こんなのまであるのかよ!?」
「貰ってきたと言っていたが」
「どこからだよ!? ここ周りは山と湖しかないぞ!?」
「いいからさっさと必要なものだけを取れ」
「……はい」
素人目に見てもかなり質の良いことが分かる鯛に下手に手を出すのも気が引けたので、適当に大根を取り水でよく洗う。ふと隣を見ると、フリーダムが拙くはあるが丁寧に大根を切っていた。
「包丁使えるんだな」
「ここ拉致されてから無理矢理覚えさせられただけだ……なんだその顔は」
「いや、別に」
眉をしかめながらも真剣に料理をするフリーダムに見えないように小さく笑いながら、シンは大根の皮を剥き始める。
――しかし、おでんって結構時間かかるんだよなぁ。だしは用意したけど煮込まないといけないし。その間に絶対あいつら文句言うだろうしな……川魚が結構あったし、適当に塩焼きにでもするか。量は足りないだろうか
ら他にもいくつか……魚は結構あったし刺身ならすぐできるか。
仕事で培った知識を元にざっと予定を立てながら、シンはするすると解くように大根をかつらむきにして適当な大きさに切り分ける。
串を刺し、だしの中に放り込んだところで、じっとフリーダムが見つめていることに気が付いた。
「どうした?」
「知らん!」
フリーダムは顔を背けると大根を切る作業に戻った。どうやら少し手間取っているらしい。
――なんなんだいったい。
その態度に首を傾げつつ、シンは卵と竹輪、スジ肉を取り出し仕込みを続けた。
ひとつ仕込みを終わらせる度にフリーダムが睨んでくる理由には最後まで気付くことはなかった。
最終更新:2010年10月18日 00:44