「よかった! 目を覚まされたのですね、シン・アスカ、私の主!」
少女は弾んだ声をあげるとそのまま男にのしかかり、きつく抱き締める。
「な、なんなんだよ、あんたは。俺が主?」
黒髪赤瞳の男、シン・アスカは理解できない状況の中、たまらず困惑の声をあげた。
今の彼にわかったのは、周囲の薄暗さと少し離れた窓から見える星空からして今は夜だという事だけだった。
かくして彼、シン・アスカにとって運命の夜が始まった。
第1編シン・アスカパート
わけがわからない、黒髪赤瞳の男、シン・アスカは胸中でそう叫ばざるを得なかった。
裏切り者を追いかけていたと思ったらいきなり光に飲み込まれ、
目が覚めたと思ったらずぶ濡れで知らない場所の床に転がされていて、
自分の上には見知らぬ少女が乗っかって抱きついている。
まるでまとわりつく犬のように、こちらの首元に腕をまわしてきつく抱きついている
プラチナブロンドの少女に関してシンはまったく見覚えがない。
状況も不明、人物も不明。何より不明なのは先程から少女が言っている単語。
「ああ、よかった主様! 一時はもう駄目かと思いました!」
また言った。主様と。この少女はなにやら自分の事を主としているらしい。
シン・アスカは自分自身を振り返る。
シン・アスカ。プラントの防衛軍事組織ザフトの兵士であり、アカデミー成績上位者を示す赤服着用者。
MSパイロットとして新型機インパルスを操縦して戦い、最近では最新鋭機のデスティニーを受領した。
客観的な自身の社会的立場としてはこんなものか、
とシンは確認する。
なにやら感極まったように、意味不明の事をわめきながら自身にまとわりついている少女に抱きつかれながら。
自分自身の人生において自らを主と呼ぶメイドのような存在を雇った覚えはなく、またそんな趣味もない事を再確認しながら、
シンはなんとか自由になる片手で少女の背中を軽くたたきながら意思の疎通をはかった。
「なあ、おい、ちょっと、あんた!」
その呼びかけにようやく少女は口と体の動きを止め、シンの顔を正面から見つめる。
「なんでしょうか、主様。」
倒れている自分の体の上にのしかかりながらその顔を、至近距離でまじまじと覗き込んでくる少女。
暗闇にも映える鮮やかなプラチナブロンドと令嬢を思わせる涼やかな目元と美しい容姿に印象的な金の瞳、
それが至近距離にある事に心なし動揺しながらもなんとかシンは平静を装って声を出す。
「はなれてくれよ、いい加減に。重たいんだ。」
「あ、これは失礼をいたしました。」
シンに言われてプラチナブロンドの少女は慌ててその身を離した。
ようやくシンは自身の上から重量が消え、自由になった体を起こしながら周囲を見渡す。
周囲は薄暗いが、自分が横になっていた床は木で作られているようだ、と感触と薄明かりの中の視覚で見当をつけた。
先程から思っていた事ではあったが、ミネルバの中というわけではなさそうだし、
なにやら定期的に揺れている事から移動物のようだとはわかる。
だが自身が木造の移動物に乗っている理由がわからない。
とにかく状況を把握する事が必要だ、そうシンは感じて周囲に事情を説明してくれそうな
存在を探す。
視界の端になぜか木造の床上に正座して笑顔でこちらを見ている、
プラチナブロンドの少女が写ったような気もするが、気にしない事にし、シンは口を開いた。
「……まずは人を探さないといけないな。」
「ちょっと待ってください、お探しのものはすぐ近くにありますよ!」
立ち上がろうとするシンの手を掴み、プラチナブロンドの少女が抗議する。
「いや、なんかあんたに聞かないほうがいい気がしてさ。」
「なんて事を言うんですか! 普通は理解できない状況、目の前に麗しの美少女、とくれば話しかけるのが自然でしょう! 王道ですよ、王道!」
自分で自分の事を美少女、という人間がはたして麗しいのかという疑問を心に点灯させつつ、とりあえず黒髪赤眼の男は答えた。
「だいたい、俺の事をご主人様とかいきなり言われてもな。
俺はそういう趣味でもないし、誰かにそう呼ばれた覚えもないんだよ。」
「何をおっしゃっているのですか、貴方は最初に私に乗った私の主様です。」
迷わず断言した少女の言葉に、シンはまるで世界が凍りついたような感覚を覚えた。
「な、なんだって……? 今なんて……」
「何をおとぼけになるのですか、我が主。
初めての前には念入りに調整し、乗った後は激しく動かしてくださったではありませんか。」
かすれる声でなんとか問いただしたシンに対し、少女はあっけらかんと笑顔で答える。
絶望的なその内容を。
シンは瞬時に自分自身の記憶回路をフルスロットルで起動させ、可能な限りの情報を思い返し、該当しそうなものを探す。
自分の人生を振り返ってみる限り、そっちの世界に足を踏み入れた事はなかったはずだった。しかし目の前にある無邪気な笑顔は嘘をついているようには到底みえない。
なんだ? なにがあったんだ? 俺は何をしてしまったんだ?
シンの中で限りなく自問が繰り返される。
この無邪気な笑顔に対し、自分は一体何をしてしまったというのだ?
まさか記憶がない間に何かがあったのだろうか、とシンは脂汗などがたれるのを感じながら心中で問いかけた。
胸が早鐘のように早く鼓動を響かせるのを聞きながら、シンの中で数多くのイメージがよぎる。
「どうなされたのですか? 主様。そのように自身の内面にひきこもってばかりではいけませんよ。自他が起こす外の変化を楽しむのです。」
なにやら励ますかのように、目の前の少女が眩しい笑顔で言ってくる。
それがなおさら黒髪赤眼の男の心を荒縄で引き絞るかのように締め付けた。
「う、生まれてきてごめんなさい……。」
シンは罪悪感にいたたまれず、前に突っ伏し、床板に頭を押し付けて呻く。
「さっきからどうなされたのですか、主様。私達は主に乗っていただき、動かしていただく事が存在意義です。主様がお悩みになられてはむしろ心外です。」
拳をグッと握り締めながら少女は主張するが、その内容はとてもただ言ではない。
私達? 存在意義? 不意に出てきた単語にシンはさらに混乱する。
「たくさんいるのかよ? あんたの仲間は。」
「何を仰っているのです、主様。一杯いるじゃないですか。いえ、この状況では……いた、といった方がむしろいいのでしょうか。」
言葉はわかるが、内容がさっぱりわからない。
何やら眉をしかめて唸っているプラチナブロンドの少女に対し、シンは思わず問いかけざるを得なかった。
「……つまりどういう事なんだよ。」
「人生は前向きが一番だという事です!」
そう言ってプラチナブロンドの少女は両の腕でシンの手を優しく包む。
戸惑うシンに対し、続けざまに少女の口から言葉が発せられた。
「私、ZGMF-X425デスティニーはこの世界でも常に貴方と共にあります。
改めてよろしくお願いしますね、主様。」
そう言って微笑む少女。
その言葉と笑顔に対してシンは―――
「はぁっ?」
目を丸くして素っ頓狂な声をあげるしかなかった。
最終更新:2010年10月18日 17:48