<三つの『D』>
――『それ』が目覚めたとき、辺りにはむせ返りそうな程の生い茂る緑だけがあった。
いつからここで倒れていたのかなど『それ』には分からない。
本能的に理解したことは、自分が生まれ落ちてそう間もないこと。そして自分が何者であるかということ
だけだった。
上体を起こし、ぐるりと周囲を見渡す。四方の判別がつかないほど木々と草以外に何もなかった。
「…………?」
明らかに自然の奏でるものとは異なる音にその方向を見やる。
低く唸るようなそれは、初めて耳にするはずだというのに聞き覚えがあった。
やがて、音を発していたものが木々の間を縫うようにして現れる。
三人の少女。戦闘機の羽とジェットエンジンを無理矢理くっつけたようなものを背に着けている。
――ウィンダム。
『それ』の頭の中にひとつの名前が浮かぶ。中空に浮かびながら無表情に見下ろす三つの同じ顔。『それ』は
自然とのひとつに向けてそっと手を伸ばす。
次の瞬間、ウィンダムの腹部に巨大な穴が穿たれ爆散する。
『それ』は驚いた表情で伸ばした自分の手を見る。今しがた放たれたビームを発した何よりの証拠である白い
煙が立ち上っていた。
残った二体が表情を変えず左右に展開して手に持ったビームライフルの銃口を『それ』に向ける。
――だが遅い。
二つのライフルよりも一瞬早く『それ』の両手が光を放った。
爆音が二つ。残響が消えた後は『それ』が目覚めた直後の静寂が戻る。違いがあるとすればビームに撃ち抜か
れた木の焦げた臭いが増えた程度だ。
――行かないと。
ここには留まれないと判断して立ち上がる。改めて辺りを見ても何も分からなかったので、ウィンダムたちがやって来た
方角とは真逆の方へと歩き始める。
――『それ』は知る由もなかったが、その先にはエンフィールドと呼ばれる街があった。
――世の中には、絶対に関わりたくない相手がいる。
こちらを本気で殺そうとする相手、
破滅的な願望も持つ相手、
とてつもなく変態的な相手、
……まぁそのうちのいくつかに知り合いが当てはまることがないわけではないが。
ともかく、細かく述べていけばそういった相手は無数といっていいほど存在する。
そしてこのとき、シンの頭の中で新たな絶対に関わりたくない相手のジャンルが追加された。
――高いところで誇らしげに高笑いをする相手、である。
「おーっほっほっほっほっほ!」
真昼間のセントラルロットに高笑いが響き渡る。それほど高さのない建物が並ぶ中では頭一つ抜けて大きな
集合住宅の屋根の上、そこに立つ三人の少女のうち一人――カオスが挙げた声だった。
人通りの少ない時間帯とはいえ、ここまで目立つことをしては注目されるのも当然だろう。
もっとも、それを向けられる側としてはたまったものではないが。
「なぁデス子、今夜何食いたい?」
「たまには牛さんのお肉も食べたいです」
「少しは俺の懐を考慮に入れて意見しろ」
なのでこうして、「あくまであれと自分たちはまったくもって一切合切1ミクロンとも関係ありません」と
言うように二人揃って今夜の食事について話し合ってたりしていた。
「おーっほっほっほ! おーっほっほっほっほ!」
高笑いを続ける少女もまったくの無反応のせいか止めるタイミングを見失い延々と繰り返していた。
隣に立つガイアとアビスもまったく話が進まない状況に呆れていたようだった。口を挟まないのはあくまで
反応を待ち続ける少女の顔を立てるつもりでいるためか。
だが、シンはそれらの事情を把握しつつあえてすべてを無視した。
栗すらない火中に手を突っ込むような真似をするほど愚かではない。根本的な解決にはなっていないが。
「うー、でもマスターが夕飯作る日で牛肉料理があった覚えがないです」
「自腹で負担だからな。って言っても仕事くれるのもアリサさんだから自腹って言えないか」
「とにかく牛が食べたいです。牛! ビーフ!」
「却下、おとなしく鳥か豚で我慢しろ」
会話だけなら他愛もない内容。頭上で妙な笑い声が響いていなければの話だが。
「おーっほっほっほっほっほ! おーっけほっ! げほげほっ!」
むせ始めた。そろそろ限界かもしれない。
「んじゃ行くか」
「はいです」
「ちょっと待て……いやお待ちなさい! けほっ!」
喉が限界に達するほど存分に笑ったので満足したのだろうと思ったが、どうやらまだ用があるらしい。
デスティニーに軽く目配せして警戒を強めるよう促しつつ話を聞くためカオスの方へと顔を向ける。
「――今夜はビィフですね」
……小声でそう呟きガッツポーズを取るデスティニーにどう伝わっているかは分からなかったが。
「で、なんか用か? 聞いての通りこれから夕飯の準備しなきゃいけないんだけど」
「え、えぇ! そうですとも用がありますとも! だというのにさっきから私を無視してやれ牛だの鳥だの
豚だの! アビス! ガイア! 貴女たちも何か言って……ちょっと? なんですのアビス?」
今までの反動からか一気にまくしたてるカオスだったが、脇に立つアビスが微妙な顔のまま頬を掻いている
様子を見て怪訝そうに眉をひそめた。
「いやな……今日は出直さね? 今のですっげーテンション下がったし」
「はぁ!? 今さら何を!?」
「変に注目集めちまったしさぁ……ここにいなけりゃオレだって他人のフリしてたっての」
「う、うるさい! ガイア、貴女も何を黙りこくって……」
「? どちら様?」
「堂々と他人の振り!?」
何やら漫才が始まった。デスティニーと目だけで会話し、さっさと帰ろうと背を向けた瞬間、
「――おいこらテメェら! 何勝手に帰ろうとしてんだコラァ!? これ以上舐めた真似してっとケツの穴
から脳天までドでかい風穴ブチ空けっぞぉ!? あぁ!?」
……静寂。
シンが反射的に振り向いて誰が言ったのかを確認してしまうほどの口汚い罵声。
直接目で確認するまでもなく分かっていたことなのだが、荒い呼吸に肩を揺らしながら暴力的な輝きを宿した
目で睨みつけてくるカオスがいた。
「……ドン引き」
「お、おいカオス! 地が出てるぞおい!?」
「あ!? あ! えっと、コホン……おーっほっほっほ!」
「「そこからやり直すのかよ!?」」
反射的にアビスと同じツッコミをしてしまう。カオスはもう一度咳払いをして、こちらに指を突き付けてきた。
「とにかく! 今日という今日は覚悟なさい!」
「え? ってお前ら戦う気なのかよ」
「えぇ、こちらにも少々事情がございますので。こちらとしてもあまり目立つような真似はしたくないのですが、
このままではタダ飯ぐらいだのと言われて追い出されそうなので」
カオスの言い分にシンは何か引っかかるものを覚えた。
言い分から察するにこの三体も何者かに保護されているのだろうが、つまるところ自分を襲うように指示を
出している人間がこの街にいるらしい。シャドウのことが頭をよぎったが、即座に否定する。こうして誰かを
差し向けるよりも本人が率先して襲いに来るだろう。
思えばこの三体や普段どこにいるのかも分からない。しかし、今はそれを聞けるような状況ではなかった。
「ま、それに付け加えるなら……」
すっとカオスが手を掲げる。一瞬の間に現れたビームライフルを掴むとその銃口を向けてきた。
「――積年の恨みってやつを晴らさせてもらうんだよぉ!」
銃口からビームが放たれるより一瞬早くシンはその場から転げるように離れる。石畳に穿たれた無残な弾痕を
見てゾッとした。
「おい! こんな街中でやる気かよ!?」
「おとなしくブチのめされればすぐ済むぜ?」
ニヤついた笑みを浮かべながらアビスがランスを振り回しながら屋根から飛び降りる。
次いで相変わらずの無表情で隣にガイアが降り立ち、最後にカオスがフワリと舞い降りた
「命まで奪う気はありません。ただちょっと病院送りになるだけで結構ですので」
口調こそ落ち着いたものに戻ったがアビスのそれと同じ笑みを浮かべながらカオスはゆっくりと距離を詰め
てくる。
「……マスター、下がっててください」
完全にスイッチを切り替えたデスティニーがシンと三体の間を阻むように進み出る。
「えぇ、そう来ると思っていましたわ」
くすりと笑いながらカオスはライフルを構える。
「ですので、絡め手で行かせてもらいますわ」
そう告げた瞬間再びライフルが火を噴く。背後にシンを庇っている以上デスティニーは避けるわけにもいかず
盾でビームを防ぐ。
その横を、
「――え?」
アビスが通り過ぎて行った。
呆然とするのも束の間、背後で上がった声にようやく相手の狙いを理解した。
「うおおおおおおっ!?」
「さぁて! オレらはあっちで楽しもうじゃねーの!」
振り返ると、ナイフでランスを受け止めたシンが路地裏の奥へと押しやられていく姿がかろうじて見えた。
「マスター!?」
後を追おうと羽を広げるも頭上を飛び越えて立ち塞がったガイアにサーベルを突き付けられて動きを封じられる。
「……ごめんね」
ガイアはかすかに眉根を寄せながらそう告げる。
前方にはガイア、背後にはカオス。
この二体を倒さない限りシンを助けに行くこともできないという状況にデスティニーは歯を軋むほどに噛み
締める。あまりにも迂闊にこの三体と接触してしまったことが最大の失敗であった。
「さて、あちらはあちらで楽しむようですので……こっちも楽しもうか」
顔を凶悪な笑みに染めながら、カオスは背中のポッドを射出した。
最終更新:2011年02月15日 16:46