並行世界。
それは歴史とは一つではなく、並行して続いていく無数の時の流れであるという概念。
その概念に基づけば、一人の人物における『現実』も別の世界では別の形をとって存在する事になる。
例えば、やたらと次元の跳躍性が高い黒髪赤眼の男の場合、毎日とある基地とその周辺でトラブルに巻き込まれたり、
別世界では一年中桜が咲き誇る島に漂流して、長髪で歌のうまい少女と只ならぬ関係になりながらもまた漂流したり、
また別世界において奇人変人の集合体な機動部隊のとある課に拾われてあーだこーだやったり、
はたまた別の世界においては、中近世的な時代のとある世界に放り出され、船の中で三つ網少女に事故で投げ飛ばされたりする『現実』が存在するわけである。
どの世界でもあんまりろくな目にあってないとか、どこの世界でも女絡みのトラブルが多い、という突っ込みはそれこそ宿命論に属する問題である。
さて、今回物語られるのはそんな無数に存在する並行世界のうちの一つであり、少々独特な世界観を持つ。
また他の並行世界で見てみれば、本来なら出会う事も稀な異世界に住む事が多い者達同士が、一つの世界に自然に集っているという点で、
わかりやすい言語を用いて表すならパラレルワールド、という語がそれにふさわしいかもしれない。
そんな世界は現に住人達自身によって、バラレル・グラウンド、と呼ばれていた。
人の歴史は戦争の歴史である、という言葉がある。
この世界、パラレル・グラウンドでもまた、人々は太古より多くの争いにその力を費やしてきたのであった。
このパラレル・グラウンドは大きく分けて北方圏と南方圏に分かれる。
そして北方圏には比較的強大な王侯達の国家が複数存在し、覇権を巡って争っていた。
一方の南方圏には小規模な市民共和制国家が無数に存在し、勢力均衡の元、北方圏と比べれば比較的緩やかな共存を保っていた。
この北方圏と南方圏の間には勢力としては小さいものの、一応この世界における神聖血統が治める地域である鳳皇圏が存在する。
これが緩衝地帯の役割を果たし、北方圏と南方圏はこれまでそれ程互いに干渉をしないまま過ごしていた。
しかし、その状況は急速に展開する歴史の流れによって一変していく事になる。
それは北方圏に一人の巨大なる個性が現れた事に起因した。
北方圏の中の一王国に彗星の如く現れ、全国統一を目指して立ったその女王の名は、八神はやてといった。
そして彼女が築き上げる事になる帝国こそが、後世にyagami帝国として様々な想いを込めて呼ばれる事になるのである。
一方、同時期の南方圏にも自由と民主共和の旗を掲げ、yagami帝国と死闘を繰り広げる事になる人物、ティアナ・ランスターが、
さらに中間たる鳳皇圏においては、この時代における数多の逸話を残す事になる黒髪赤眼の人物が生まれていたのであった。
歴史において、平穏が破れるのは常に突然である。
無論、平穏を破る側はその前から意識しているわけだが、破られる側はごく一部を除き、それを直前まで知らない事がほとんどであった。
北方暦1197年、(南方暦では891年)において、北方圏に残る国家は3つ。一つは北方圏の7割を制圧する巨大国家、八神王国。
残る二つは北方圏の南部(ややこしいが)にあり、ちょうど八神王国の領域から鳳皇圏をふさぐようにして、東と西に並んで存在する高町王国とテスタロッサ王国。
東側の高町王国の女王なのはと、西側のテスタロッサ王国の女王フェイトはそれぞれが君主の座に着く前からの親友であり、
なのはが何かの事業を行えばフェイトもそれに同調した動きを見せる為、両国の間には北方圏の中では比較的珍しい友好が保たれていた。
(ちなみにテスタロッサ王国のフェイト女王は親しい人物が行う行動に同調した動きを見せる事がよくあった為、後世において『便乗王』の称号を奉られている。)
しかし、その平穏も破られる時がついに来た。高町王国とテスタロッサ王国の2国を除いた地域を平定した八神王国が、ついにその矛先を両国に向けてきたのである。
八神王国の現女王である八神はやて、彼女は両親を早くに亡くした事により9歳にして即位し、優れた家臣達に支えられつつ、
その優れた政治手腕と人材活用により王国の版図を次々に拡大した名君であった。
そんな彼女を支える存在として、宰相にはその博識さと冷徹さから『闇の書』と呼ばれるリインフォースがおり、
さらにヴォルケンリッターと呼ばれる4人の知勇に優れた将達がおり、政治力と統率力に優れた八神はやてによって彼らの力は十全に発揮され、
圧倒的な力と勢いで北方圏を席巻していったのである。
「戦乱の悲しみなき世界の為に、全てを統べる強力なる統一国家を。」
この一見荒唐無稽に思えるスローガンを掲げ、八神王国の軍は戦いを開始した。
後にまとめられた『八神帝国史』中の『夜天帝紀・八神はやて伝』は、この時の事をこう記す。
――夜天帝、地を統べんと欲し、泰平を謳いて兵を諸方に発す、諸侯皆之を哄笑せり――
文中にある夜天帝とは八神はやての事である。
このように、当初その言は周辺の諸侯達から嘲笑されたが、すぐに彼らは笑って開けた口を閉ざさざるを得なくなった。血の気が引いた蒼白に顔を染め上げながら。
八神王国の将兵達は誰一人として王の言葉を笑わず、何かに取りつかれたかのように熱狂的に戦い、その行く先々を平定していった。
八神はやての指導のもと、まるで夜が広がるように周辺諸国が統合されていく様を見て、外部の国々は畏怖を込めて彼女をこう呼びならわした。『夜天の王』と。
かくして北方圏の7割を平定した八神王国は名実共にパラレル・グラウンド随一の勢力へと膨張し、
はやてが掲げる全土統一は周囲から見ても「夢」から実現可能な「目標」へと変わりつつあった。
この時、夜天王はやてはまだ19歳。人間が不死ならざる生き物だとしても、理想の実現の為に十分な時間と可能性が彼女の前に広がっているはずであった。
事件が起きたのは北方暦1197年5月の事である。
八神王国はついに北方圏制覇を目指し、残る高町王国とテスタロッサ王国に兵を差し向けた。八神王国と高町・テスタロッサ両国の国力比は8:2.
高町王国とテスタロッサ王国が連合してさえ、倍以上の差が八神王国との間にはあったのである。
その上、八神王国は巧妙であった。まずヴォルケンリッターのうちザフィーラとヴィータの2将率いる2万の大軍が高町王国の国境に大規模に展開、
これに対してすぐさま女王なのはは一万の兵を率いて迎撃に向かい、テスタロッサ王国の女王フェイトも便乗して5千の兵を国に残し、残る5千の軍を率いて出撃し、なのは率いる軍と共に防衛線を展開。
しかし、これこそが八神王国の狙いであった。なのはとフェイトが東部方面の高町王国の国境防衛に集中している隙に、西部方面から八神王国の主力ともいえる大軍勢がテスタロッサ王国に向けて出撃し、電撃的な侵攻を開始した。
この方面の八神王国軍は先陣にヴォルケンの一人シグナム率いる1万5千、第二陣に同じくヴォルケンの一人シャマル1万5千、第三陣に八神王国宰相リインフォース率いる2万の軍が続くという巨大なものであり、
東西同時にこれだけの規模の軍と作戦を展開せしめる兵站維持の為に、本国に残って膨大な事務処理をこなしてみせた八神はやての手腕は特筆に値するものであった。
この時、八神はやての執務室では大量の書類が常に宙を舞い、迅速に処理されていったと伝えられている。
怒涛の如く進撃する八神王国西方軍の侵攻、とりわけ先陣を受け持ったシグナムの軍勢はまさに炎のように侵略し、テスタロッサ王国の首都アースラはフェイトが不在であった事もあり、数日で陥落する。
これは降伏すれば手荒な事はしない、と布告したリインフォースの懐柔戦略と烈火の如きシグナムの武威による合作ともいえた。
テスタロッサ王国を制圧した八神王国西方軍はそのまま旋回し、東部の高町王国首都・海鳴を後方から制圧すべく猛進した。
先陣は引き続き烈火の将シグナムであった。
驚愕したのは、高町王国国境においてザフィーラ・ヴィータの2軍と対峙していたなのはとフェイトの2軍である。
前方の敵を国境で防ぐ事に躍起になっている間に、気がつけば後方からそれ以上の大軍が既に別方向から国境を踏み越え、侵攻してくる事態に陥っている。
首都を見捨てるわけにも行かず、急遽なのはとフェイトは軍をまとめて撤退を開始したが、これは困難を極めた。
ただでさえ、なのは・フェイトの軍は前方で対峙していたザフィーラ・ヴィータの2軍より兵力で劣っており、当然ながら敵が黙って返してくれるわけもなかった。
もとより作戦を知らされていたザフィーラ・ヴィータの2軍にとってこの事態は想定内であり、堰を切ったように追撃が開始された。
なのは・フェイトは損害を受けながらも、なんとか敵の攻撃を防ぎつつ首都海鳴に向かって退却していたが、その中途で前方に見慣れぬ軍勢を発見する事になる。
それは首都海鳴制圧を後軍に任せ、急行軍でなのは・フェイト軍の後方に回りこんだシグナムの軍勢であった。
それが首都目指して進軍するなのは・フェイト軍と正面からかち合ったのである。こうなれば状況は明白であった。
なのは・フェイト軍は前方をシグナム軍に、後方を追いついてきたザフィーラ・ヴィータ軍に突かれ、前後から挟撃されて一気に壊乱した。
なのは・フェイトの2女王はなんとか血路を開いて脱出に成功したが、もはや首都海鳴を目指すどころの話ではなかった。
かくして二人は当面の安定のため、このパラレル・グラウンドの北方圏と南方圏の間にあり、
全土から精神的に尊崇される鳳皇が統治する中立圏である、鳳皇圏を目指して落ち延びていったのである。
そしてその鳳皇圏の北方よりの国境近くにあるミネルヴァ城には、黒髪赤眼の皇子シン・アスカがいたのであった。
黒い髪に強い意志を宿したような眼光鋭き赤の瞳、やや険のある眼つきに勝気そうな顔立ちをした、年のころなら16、17歳程の少年。
後世に『赤眼皇』、もしくは『女難皇』といわれる事になるシン・アスカの肖像画から伺える特長はこのようなものである。
この肖像画は描かれている顔立ちから推定される年齢からして、おそらく北方暦1197年5月の時点におけるシン・アスカの外見に相当していると思われる。
yagami帝国時代を語るに良くも悪くも欠かせないこの人物は、この時期16歳であった。
彼は第11代鳳皇ギルバート・デュランダルの第一皇子として、この頃には鳳皇圏国家プラントの北部国境線付近にあるミネルヴァ城に在城していた。
ちなみに、シンはギルバートの実子というわけではなく、遠縁から迎えられた養子である。
本当の父母はシンが幼いうちに他界しており、そこを実子のないギルバートが引き取って第一皇子に据えたものであり、
姓が違うのはそれ故で、皇位継承の時点で改姓する事となっていた。
しかし、結局はこのアスカ姓が歴史上における彼の主要な呼び名となったのである。
そして彼は、後世に『ミネルヴァ城謁見事件』と称されるなのは・フェイトの2女王の亡命、
それに伴うミネルヴァ城での謁見から本格的に歴史上の舞台に登場し始めるのである。
Yagami帝国興亡史:第一章『ミネルヴァ城謁見事件』その一
ミネルヴァ城の謁見の間において、黒髪赤眼の男、シン・アスカは城主の席に座し沈痛そうな表情を浮かべている。
「シン、お嬢様達のご来訪よ。」
不意にかけられた声に、シンが視線を向けると、その先には一人の少女が佇んでいた。
赤毛短髪に特徴的な癖毛、まず美人といっていい活動的そうな顔立ちの少女、それがどこか面白がるような笑みを浮かべている。
その身にまとう赤を基調とした従者服は、この国では重要人物の側仕えの護衛たりうる存在が身にまとう事を許されるものだ。
シンの専属従者の一人、ルナマリア・ホークである。
親しい人間からは略称でルナ、と呼ばれるのが常であった。
「ルナ、なんだよ、その笑みは。」
「べっつに~?」
「……。今彼女達はどうしてるんだ?」
「今はレイが応対しているわ。もうじきここに来るはずよ。」
シンの問いにルナはどこか含みのある軽い口調で答えた。公的には主君と家臣ではあるが、私的にはよき友人にして古馴染み、というのが二人の関係である。
もともとシンが第一皇子として迎えられてから、シンの話相手兼護衛兼従者としてつけられており、もう何年もの付き合いとなる。
四十六時中、公私に渡って付き合えば、お互いのメッキもすっかりはがれているといったところだ。
ちなみに彼女、ルナマリア・ホークは後世に「成り行きヒロイン」という微妙な呼び名で呼ばれる事になるのだが、それは現在の彼女には与り知らぬ事である。
「ルナ、なんか楽しんでないか?」
「あら、わかるかしら?」
「わかるだろ、そんなニヤついた顔してれば。」
シンがそう指摘すると、ルナは途端に表情を笑顔に崩し、おかしそうに答えてくる。
「だって~、なんか面白そうじゃない。なんたって今日のお相手はあの有名な二人の女王様でしょ?」
「あのなあ、そんな簡単な問題じゃないだろ。場合によっちゃ、この国が……」
言いかけたシンは不意にルナの表情から笑みが消え、
どこか詰るような色を帯びている事に気がつき、思わず口を閉ざした。
「あら、簡単な問題よ、……少なくともあたしにとってはね。
なんでもシン、今回来た二人の女王とは旧知の仲だそうじゃない。」
「……誰から聞いたんだよ。」
「当の本人達が嬉々として語っているらしいわよ。」
「……あの人たちって人はぁ!」
ルナの答えにシンは頭を抱え、大きく息を吐き出す。
そんなシンに対し、ルナはどこか芝居がかった様子で胸元に手を組み、歌うように言葉をつむぎ始めた。
「なんでも我が皇国の皇子様はご幼少のみぎり、
未来の二人の女王にお会いになられ、ご結婚のお約束まで為されたとか。ああ、そのような事になれば、事はそれこそ皇国のみならず、周辺諸国まで巻き込んだ騒ぎとなりますでしょうに!
なんということでしょう、そのような重大な事を第一の従者たる私にも今まで打ち明けていただけなかったとは!
皇子にお仕えして以来、常に寝食を共にし、僭越ながら並の主従以上の絆で結ばれていたと思っておりましたのに! それなのに、それなのに……」
「少し静かにしろよ、ルナ。」
シンの言葉に、なにやら踊るように周囲でステップを踏みながら演説していたルナは、つまらなそうに顔を顰めつつ足を止め、こちらに対して向き直る。
「わかったわよ。ちょっと悪ふざけが過ぎたわね。でもシン、酷いと思ったのは本当よ。
水臭いじゃない、そんな重要な話を今まで黙ってたなんて。」
詰るようなルナの口調に、シンは思わずため息をついた。
「何よ、その反応。」
「あのなあ、ルナ。あの事はそういう話じゃないんだよ。」
「……じゃあどういう話なのよ。」
ルナは疑わしげにジト眼で問うて来る。
どうやら誤魔化しはきかないらしい。
シンは内心で閉口しつつ、過去の経緯をかいつまんで語ろうと口を開きかけた時、前方の扉が開き一人の男が姿を見せた。
ルナと同じような赤を基調とした従者服の男性用を身にまとった、年のころなら17、18の男.しかし、その落ち着いた雰囲気から年齢以上に大人びて見える。
金髪長毛に女性と見まがう程に端整な顔立ち、鋭さを感じさせる切れ長の眼に理性的な輝きを放つ瞳。
シンにとってそれらの特徴は見慣れたものだった。
「レイ、どうしたんだよ。」
「どうしたもこうしたもない。シン、時間だ。」
少し顔をしかめてレイと言われた男がシンに告げる。
彼の名はレイ・ザ・バレル。ルナと並ぶ、シンの専属従者である。文武共に優れた俊才として知られ、将来を期待される存在であった。
彼のシンとの親しさ、友誼の厚さはルナマリアに勝るとも劣らず、後世には義兄弟のように語る声もある。
この時代の北方圏をまとめた代表的な資料である『八神帝国史』の中には様々な人物が列伝形式で紹介されているが、
その中の『麗将・レイ・ザ・バレル伝』(麗将伝とも略される)では彼とシンのつながりをこう記す。
―――かの麗将、年少より赤眼皇に仕ふる者なり。常に傍らにはべりて主を守護せり。主との親愛厚くして、常に寝食を共にす。その様さながら兄弟の如し、と諸人これを評す―――
これと似たような記述はルナマリアの伝にもあり、レイとルナがシンに仕えた時期はそれ程違いがなく、ほぼ同時期の事であったようである。
後世の一部の者は『寝食を共にした』とある記述をもって早くからシンと彼女の間に関係が存在していた、と推測する者もいる。
しかし、それはレイのこの記述と照らし合わせ、その上で整合を求めるならば同室か近い部屋で起居し、食事や日常行動を共にしていた、と解釈する見解が主流である。
ただ、一部には頑なに『三人でやっていたのだ!』と主張する者もおり(何をやっていたと主張されているかはお察しください)、
結局はどれを真実とするかは各人の見解によっている。
無論、現在のレイはそんな己への後世からの憶測など知る由もなく、
後世に必ず彼を語る時に特徴として挙げられる端麗な容姿を顰めさせながら、シンに対して言葉を続けた。
「シン、わかっているだろうが、今回の問題は下手をすれば我が国のみならず、世界情勢事態に影響を与えかねん。
くれぐれも応答は慎重にしてもらうぞ。」
「だ、そうよ。わかってるの? 『皇子』様。」
厳しいレイの口調に続いて、
どこか茶化すようでいて『皇子』の単語に微妙なアクセントと悪意のスパイスを振りかけたルナの言葉がシンの意識を刺激する。
その意味は問うまでもない。
この世界における鳳皇は実質的な勢力はともかくとして、
権威としては神聖血統として北方圏南方圏を問わず崇拝を受ける存在である。
大きな実力を持たないが、形式の上では誰もが尊重せざるを得ない存在、それが鳳皇圏。
それ故にこの国は北方圏と南方圏の間において、戦乱にも比較的巻き込まれずに緩衝地帯として存在しえたのである。
その第一皇子たるシン・アスカが、八神王国に破れ亡命してきた2女王と婚約でもするような事があれば、
それこそかの超大国を無用に刺激する事になるのは明らかであった。
「言われるまでもないさ。レイ、お二方をお通ししてくれ。」
シンは少し大きめに息を吐き、そのままレイに案内を促す。
レイは頷いて扉に向かい、ルナはそんなシンの様子を見てどこか楽しげに微笑しながら、その席の左側について佇む。
どこか浮ついているように見えても、彼女が護衛としての任を誰よりも真剣に勤めている事をシンは知っている。
「高町王国なのは女王、テスタロッサ王国フェイト女王、おなーりー。」
そうこうするうちに、わずかに隙間をのぞかせた謁見の間と外界を隔てる扉の向こうから、
来客の到着を告げる若い侍女の声がした。
その言葉に続いて独特の摩擦音を響かせながら、隙間は大きく広がっていき、
外の空間とそこにいる存在の姿を明瞭にしていく。
そんな中、なんとなくシンは左側に佇むルナに眼をやった。
するとルナもほぼ同じタイミングでこちらに視線を向けていた。
すぐにその顔にはシンが見慣れたどこか楽しげな微笑が浮かぶ。
それに釣られてシンも思わず顔をほころばせた。
そう、何の事はない。
これまでもそうだったように、これからも自分達三人は一緒にいて、共に困難を越えていくのだ。
その思いが穏やかに、だが確固とした確信となってシンの心に満ちていく。
そして彼は迷いなく己が向き合うべき現実へと視線を戻した。
かくして扉は開き、その奥から姿を見せた新たな
登場人物達が中の空間に招き入れられる。
時は北方暦1197年5月21日。
歴史という舞台の上に役者達は揃いつつも、なおも彼らは己の役割を知らぬまま。
黒髪赤眼の少年はただ時代の流れに身を任せ、目の前の現実を相手に不器用なステップで踊りつつも、
この時はまだその心は晴れ渡る空のようにすみやかだった。
最終更新:2011年04月12日 14:17