――父さん、母さん、それにマユ。
この世界の空は、そっちの空にも繋がってるかな?
俺はなんとか元気にやってるよ。面倒なことになったと思うこともあったけど、いろんな人と出会って助けてもらってる。
情けないことに助けられっぱなしだけどさ。
なんだかんだでこの世界に来てもうずいぶん経つ。ここの生活にもようやく慣れてきたんだ。
俺は今日も元気に、
……大蜘蛛なんかを相手に、イカれたダンスと洒落込んでます。
薄暗い闇の中で銀光が閃く。淀んだ空気と共に切断され、宙に舞った節足の爪が、わずかな明かりを受けて鈍い光を反射していた。
「うわぁっ!」
「クリス、無事か!?」
逆手に構えたナイフを前に構えながらシンは鋭く叫ぶ。その背後には、クリスが切断された蜘蛛の脚を凝視したまま尻餅をついていた。
「ご、ごめんなさい。驚いちゃって……」
「もっと下がってろ! こっちの動きに合わせられればそれでいい!」
シンの言葉に圧されたのか、こくこくと首を縦に振りつつ慌ててクリスは蜘蛛から距離を取った。その気配を振り
向かずに確認し、シンは眼前の異形を睨みつける。
全長およそ三メートル、赤い複眼の中にはそれぞれにシンの姿が納まっていた。七本に減った脚の先には
鋭い鉤爪が生えており、口元にも異様に発達した牙がキシキシと蠢いている。
「……クソ、動きづらいな」
唇を噛む。もっと開けた場所ならばここまで苦戦することはないはずだった。しかし、ここは動き回る程度のスペー
スがあるとはいえ洞窟の中である。それもこちらは初めてこの地を踏み、相手はここを狩場としているという地の
利という差もある。加えて言うなら――これはどうしようもないことなのだが――こちらは戦闘慣れしていないクリス
を庇う形で思うように身動きが取れないのだ。
地形、そして状況的にもシンたちの不利は明らかだった。
「クリス、魔法の準備を!」
「は、はいっ!」
指示を出し、シンは硬い岩盤を蹴りつける。真っ向から突っ込んできた餌に歓喜の声を上げるように蜘蛛は口を開いた。
「チィッ!」
突進の向きを強引に斜め前へずらす。弾けるような音が響いた瞬間、シンのすぐ傍を粘性の強い白い糸が通り過ぎていった。
直後に全身から冷や汗が噴き出す。
「はぁぁぁぁぁぁっ!!」
ナイフの柄を握り締め、大きく踏み込んで薙ぎ払う。だが刃は目標に当たる遥か手前で鈍い音を立てて弾かれ
た。蜘蛛の残った前足で防がれたのだ。
「まだ……まだっ!」
反動を利用して全身を捻りつつさらに追撃する。
相手に移動する隙を与えてはならない。壁や天井に張り付かれてはシンの間合いの外から一方的に攻められ
るしかないからだ。
切り払い、薙ぎ払い、爪を避けて顔面に刃を突き立てようとして足に弾き飛ばされる。
「シンさん!?」
「大丈夫だ! 集中しろ!」
転がりながらなんとか起き上がり、再び突撃を仕掛ける。
先程よりもさらに速くナイフを振るう、振るう、振るう。
本命ではなくプレッシャーを与えるための連撃、足一本では対応しきれないと悟ったのか、大蜘蛛は後方の
四足だけで身体を支えて前の三足を自由にした。
一振りの刃と三本の爪、どちらが有利なのかは語るまでもない。一瞬にして三撃、例え一つを防いだとしても
残った二本の鉤爪がシンの身体を貫くだろう。
蜘蛛の足が持ち上がる。
「クリス!」
その動作にわずかに遅れてシンは合図を出し、後ろに跳んだ。
「る、ルーンバレットッ!」
クリスの周囲に四つの火球が出現し、同時に放たれる。狙うは一点、上体が上がったことで剥き出しになった、
大蜘蛛の腹部。全弾吸い込まれるように目標へ命中し、炸裂した。
ヂィィィィィィィィィィィィィィィィィィッ!!
苦悶の叫びが洞窟に木霊する。魔法の炎に灼かれた部分が醜く爛れていた。
――浅い!
刹那に見切ったシンは着地と同時に姿勢を低くし、前へ飛び出した。ルーンバレットの直撃によって上がったまま保たれていた大蜘蛛の上半身が、重力に従ってゆっくりと下がっていく。
「間に……」
滑り込むように大蜘蛛の下に潜り込む。巨大な爪が頭上を掠め、シンの頭髪を数本散らす。
「合えぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!」
硬い岩の上を転がりながらナイフを振るう。刃はルーンバレットが命中した腹部を深く切り裂き、紫色の体液が大量に地面へと撒かれた。
「やった――!」
そのままの勢いで蜘蛛の下から転がり抜け、シンは返ってきた手ごたえに思わず呟く。
しかし、
「シンさん、危ない!」
その声にわずかに緩んだ神経を再び張り詰めさせ、飛ぶように真横へと転がった。直後に響いた破砕音に先程まで
自身がいた場所を振り向くと、硬い岩を粉々に粉砕した巨大な脚が突き刺さっていた。
「コイツっ!?」
振り向き様にベルトに差したスローイングダガーを投擲する。大蜘蛛の複眼に刃が突き刺さり、地面に転がった
シンに放たれた二撃目も不発に終わった。しかしその脚がシンの服を貫き、地面に縫いつけて動きを封じる。
「マズっ……!」
ダガーが刺さっていない眼がシンを睨みつける。鋭く尖った爪が高々と振り上げられた。ナイフで脚の節を切り
落とすが、硬い岩肌に深々と突き刺さった脚を
「――ボウヤ、そのままじっとしてな!」
なんとか抜け出すともがいていたシンだったが、その言葉を聞いて動きを止める。直後に大蜘蛛はバッファロー
に跳ねられたように弾き飛ばされた。
「リサ!?」
「余所見しない!」
短い叫びにシンは慌てて爪を地面から引き抜き、大蜘蛛へ意識を戻す。仰向けになった大蜘蛛は六本の脚
を苦しげに蠢かせていたが、やがてその動きが止まった。
「死んだ、の?」
リサの後を追って現れたシーラが悲しそうに眉をひそめながら誰にともなく聞く。それからさらに数秒を経てよう
やくリサは構えを解いた。
「もう大丈夫だ。平気かいボウヤ?」
「……あぁ、大した傷じゃない」
転がりまわったせいで小さな傷があちこちに出来ていたが、蜘蛛によってつけられたものはなかった。
「それよりそっちの蜘蛛は?」
「私が仕留めたよ」
腰に下げた鞘にナイフを収めながらリサはあっさりと告げる。見たところ怪我もなく、疲労も見えない。
「待ってて、今傷を治すから」
いいって、とシンが口に出す前にシーラはすでに治癒魔法を発動させていた。
――ティンクル・キュア、軽い怪我程度ならすぐに完治させることができる神聖魔法の一種だ。
手のひらから溢れ出した淡い光の欠片がシンの身体に降り注ぎ、瞬く間に傷を癒していく。
「……悪い、助かった」
「ううん、こんなことくらいしかできないから」
少しだけ顔を赤くしてシーラは手を引っ込める。シンの傷はすでに目立たないほどに塞がっており、軽く肩を
回した程度では開く気配もなかった。
「まったく、人間相手ならそこそこ良い動きをするのにモンスター相手だと手間取るんだね」
「それは……まぁ、認めるよ。今までこんな奴等と戦うことなんてなかったし」
人間相手ならもっと上手くやれたと言おうとして、やめた。シーラやクリスもいるのだ、それを差し置いても決して
誇れるような言い分ではなかった。
対人戦闘は飽きるほどシンは学ばされたが、さすがに人間以外の生物の対処、というよりも巨大な蜘蛛の仕留
め方などザフトでは想定すらされていなかった。それでもなんとか食い付けるのはシン自身のスキルの高さの
証明とも言えるのだが。
「マスター!」
最後にデスティニーが四人の元へと飛んできた。その顔に隠しきれない焦りが見え、シンは一度解いた緊張を
再び張り詰める。
「どうした? もう自警団の連中が追いついたのか?」
「お弁当が切れました!」
問答無用でシンは空のランチボックスを持ったデスティニーを叩き落とした。
「うう~、ひどいですよマスタぁー」
「何がひどいだこのムダ飯食らい! お前飛んでただけだったろうが!」
「だって戦うなって言ったのはマスターじゃないですか」
そう、洞窟に入ってから何度か戦闘が行われたのだが、そのどれにもデスティニーは参加していなかった。洞窟に入ってからすぐにシンが強く言いつけていたからなのだが……
「戦わなくても偵察くらいはできるだろ」
「……さっきの蜘蛛だって私がいたらマスターもそんな怪我しなくて済んだのに」
「デス子!」
突然洞窟の中に響き渡った大声にデスティニーは身体を震わせる。シーラやクリス、そしてリサまでもシンに驚きの視線を向けていた。
「いいから、偵察に行ってくれ。アルベルトの奴がどこまで来てるのか知りたいんだ」
シンの不機嫌そうな顔を見てデスティニーは少しだけ怯えたような表情で迷いを見せていたが、やがて肩を
落としながらシンたちが通ってきた道を戻り始めた。
「シンさん、いいんですか?」
「……いいんだ、これで。俺たちは先に進もう。デス子ならすぐに追いついてくるさ」
そう言って、振り返ることなくシンは洞窟の奥へと進み始める。クリスとシーラは困ったように顔を見合わせたが、
この場に留まるわけにもいかず揃ってシンの背中を追った。
リサも訝しげな顔でシンを見つめていたが、しばらくして三人の後を歩き始めた。
「変な奴ら?」
「はいです。仮面を被ったタキシードの人がアルベルトさんたちと戦ってたです」
洞窟内の泉で休憩することになったシンたちは、デスティニーの報告に首を傾げていた。
「仮面にタキシードか、露骨なまでに怪しいね。どこの連中だとか分かったかい?」
「う~、遠くからこっそり見ただけなんでそこまではさすがに……あ、でも下っ端っぽい人が仮面の人に向かってハメットって呼んでたです」
「ハメット? 聞いたことがない名前ね……」
謎の連中に関してはデスティニーからの報告だけということもあって分かったことはほとんどなかった。しかし
アルベルトたちと小競り合いを続けながら進んでいるということもあり、どちらもこちらとの距離はかなり開いている
のは確からしい。
「それじゃ、もう少しだけ休んでいこうか」
リサの言葉に全員が頷いた。シンとリサはともかく、シーラとクリスはそれほど体力があるほうではない。目的地
まであとどれほどかかるのかも分からない以上、この泉で出来る限り休んでいくという方針に誰も異論はなかった。
「あう~、喉が渇いたです……ちょっと水飲んでくるです~」
「私も……でも飲んでも大丈夫なのかしら?」
「湧き水だから問題はないと思うけど、ちょっと調べてみます」
フラフラと飛ぶディスティニーに付いていくようにシーラとクリスも泉へと向かい、シンとリサだけが残された。
「リサはいいのか? 行かなくても」
「いや、ナイフも洗わなきゃいけないからね。用が済んだら私も行くさ」
そう言って、リサはシンに正面から向き合った。
「聞きたいことがあるんだ。アンタ、デスティニーのことをどう思ってるんだい?」
「どうって、何だよいきなり」
質問の意図を測ることができずにシンは聞き返す。
「さっきのことさ。アンタはあの子をよっぽど戦わせたくないと考えてるのは分かった、でもそれは何でなんだい?」
シンは口篭った。理由はあるのだが、それを説明するにはリサには伏せていることが多すぎた。
シン・アスカという人間はどこから来たのか、
デスティニーたちが召喚されたきっかけとは、
そしてデスティニーたちの正体とは……
それを今すぐ、一から説明したとしてもどこまで信じてくれるというのか。例え話すとしても、今の状況ではわざわざ
余計な混乱を呼び込むことになりかねない。
「別に、ただやかましいだけの奴だよ」
「ウソだね、アンタは過保護なくらいあの子のことを気にかけている。理由までは分からないけど、どうしても危険
な目に遭わせたくないってのは見ていればすぐに分かるさ」
肩をすくめながら言うリサだったが、その目は至って真剣だ。
「でもね、さっきみたいにあの子の意志を封じるようなことをするのはどうかと思うよ。あれじゃまるでモノ扱いだ」
「そんなことは、」
「ないって言えるかい?」
反論しようとして、しかし口をつぐんだ。もちろんシンにそんなつもりがあるわけではない。だがそれでも、シンは
デスティニーたちを戦わせたくない理由があった。
「まぁこんなこと言ってはいるけど私はアンタたちの事情に深く首を突っ込む気はないさ。ただ、あの子をあまり
特別に扱いすぎるとアンタたちの間に溝ができるかもしれないよ」
「……心配してるのか?」
「ただのアドバイスさ。じゃ、私も行ってくるよ」
ひらひらと手を振りながらリサも泉へと向かっていった。
「…………」
一人残ったシンは座り込んで背を岩肌に預ける。天井の隙間からわずかに漏れてくる陽の光に目を細めなが
ら、リサと交わした会話を思い返していた。
デスティニーたちは子どものような姿をしてはいるが、MSとして装備されたライフルやサーベルなどの兵装は
問題なく扱うことができる。もちろん本来の機能をそのまま縮小化したわけではなく、かなり特異な魔法武器とし
て使える、ということらしい。シンも一度だけデスティニーが一通りの武器を扱っていたのを見ていたのだが、モン
スターと戦うことになんら問題のない性能を保持していた。
だが元いた世界、コズミック・イラではシンの手足のように乗りこなしたデスティニーやインパルスだ。当然のこと
ではあるのだが、そのときはシンにとって単なる道具としか見ていなかった。だがこの世界で様々な感情を見せ
る彼女らの姿を見て、シンの中にある種の後悔が生まれたのだ。
――自らの手で彼女たちの手を汚してしまったという、後悔が。
そしてもうひとつ、時折浮かんでは消える四肢を砕かれ、戦う術を失ってしまったデスティニーの姿。記憶が
曖昧でそれがいつのことなのかシンには分からなかったが、そんな姿になってしまった理由もまた自分自身にあるということだけは分かった。
例えそれがモンスター相手であったとしても、シンにとってはデスティニーたちを戦わせること自体を避けようと考えていた。
だがリサも言った通り、それがデスティニーの意思に沿わないものであるなら単なる束縛でしかない。
それは分かっている、分かってはいるのだが……
「クソッ!」
理不尽な苛立ちを拳に乗せて壁に叩きつける。わずかにヒビが入ったが、それまでだった。
<おまけ:その頃のさくら亭>
衝撃(剣)「あ~、ったく商売繁盛なのも考えもんだよなぁ」
伝説 「……仮にも従業員が客の前でだらけるのは正直どうかと思うのだが」
衝撃(剣)「いーんだよ、愛想振りまくのはアタシじゃなくて他二人なんだからさ」
衝撃(砲)「料理の持ち運びはもっぱらソードの役目だがな。なに、ソードはただ一人のためにしか優しいところを
見せないだけだ。気を悪くしないでくれ」
衝撃(剣)「なっ、何言ってるんだよブラストっ!? 別にアタシは元マスターのことなんてなぁ……」
衝撃(砲)「ほう、適当なことも言ってみるものだな。偶然とはいえ本当だったとは」
伝説 「分かりきっていたことではあるがな。それと、自爆してるぞソード」
衝撃(剣)「こっ、この冷徹コンビ……」
衝撃(翼)「あ、あのあの! そういえば元マスターは今どうしてるんでしょうか!?」
伝説 「あぁ、シーラたちと天窓の洞窟へ向かったらしい。私も行こうかと思ったのだが断られたよ」
衝撃(剣)「何ィ!? まさかデス子の奴も一緒か!?」
伝説 「そう聞いたが?」
衝撃(剣)「あんの食っちゃ寝MSゥ……!」
衝撃(翼)「そ、ソードちゃん落ち着いて」
衝撃(砲)「そう妬くなソード」
衝撃(剣)「妬いてねぇよ!」
伝説 (やれやれ、たまにはゆっくりさくら亭で食事をと思ったのだが。しかしインパルスは見ていて飽きないな、
特にソードは面白い……)
伝説 「はてさて、ソードの想い人は今ごろどうしているのやら」
衝撃(剣)「だから想い人なんかじゃなぁぁぁぁぁぁい!!」
最終更新:2008年07月11日 17:11